FEATURE

INTERVIEW

Buffalo Daughter

Buffalo Daughter

twitter facebook

interview by 渡辺克己

激動の音楽界をタフに生き抜いたバッファロードーターの結成25年+1年。

初アナログ化される傑作『Pshychic』と『euphorica』を5月にリキッドルームで再構築!

 

 1993年にバンド結成、1994年に雑誌・米国音楽が主催した<Cardinal Records>から『Shaggy Head Dressers』を発表したバッファロー・ドーター。1995年に筆者は、元ハバナ エキゾチカのシュガー吉永と大野由美子が結成した新バンドということで、バッファロー・ドーターのライブ(レーベルメイトだったSeagull Screaming Kiss Her Kiss Herとの対バン)へ出かけた。

シンセベースのファンキーなビートに、心地のいいギターリフ。そして、ムーグ山本のターンテーブルから奏でるスクラッチやノイズ、そして飛び交う電子音。それが一体となったグルーヴは、それ以前に聴いたことのないような音楽で、大きな衝撃を受けた。その後、ビースティ・ボーイズのマイク・Dが主催していた<Grand Royal>へ移籍。ヒップホップからハードコアパンク、そしてフォークまで。ジャンルや人種を問わず、とにかく新鮮なアーティストが集まるレーベルだっただけに、バッファロー・ドーターの移籍は、うなずけるものがあった。

 現在、海外のレーベルやアーティストとコンタクトを取ることは、インターネットが普及したことで、それほど難しいことではなくなった。しかし、今から25年前となると、それはそれは大変なこと…。まだインターネットは限られた一部の人のもので、海外へ一本メールを送るにも、通信料や時間(アイコンがグルグル回るのは、今と変わらないけど)が随分かかったもの。そんな世界がまだ広かった1990年代に、世界中で活動を展開していたバッファロー・ドーター。まずは、狂騒的だった90年代の話から聞いてみた。

 

 

大野由美子 まず『Shaggy Head Dressers』(94年)を作った頃。ビースティ・ボーイズのマイク・Dが中心になって自身のレーベル<GRAND ROYAL>から、93年に<GRAND ROYAL MAGAZINE>という雑誌が創刊されたんです。最初は普通に読んでましたね。

 

シュガー吉永 ディスクレビューのページがあって、レビュー用のカセットテープを募集していて。『Shaggy Head Dressers』を送ったんだけど、その時は引っかからず。その後にルシャス・ジャクソンが来日した時、CDを送ったんですよ。そうしたら、ルシャス・ジャクソンから、CDの発売元<Cardinal Records>のオフィスに「(CDが)おもしろかったから、自分たちのジンでインタビューしたい」という内容のファックスが届いて。それで質問表が届き、それに回答して返して。その時に、ルシャス・ジャクソンのケイト(シェレンバッハ)へ、ライブ映像を送ったんだ。

 

大野 立花ハジメさんとライブをやった時の映像を、映像監督の中野裕之さんが撮っていてくれたんだ。

 

シュガー その映像をケイトがマイクに見せてくれて、気に入ったのが<GRAND ROYAL>と付き合うキッカケかな。

 

大野 わたしはジョン・ゾーン『コブラ』(87年)の日本イベント「ジョン・ゾーンズ・コブラ 東京作戦 サーファーズ・オブ・ロマンチカ部隊」(94年)へ、巻上公一さんが携わっていた関係で出演していたんです。そこで、NYから参加していたドラマーのローラ・クロムウェルと友達になって。終演後、彼女を訪ねてNYへ遊びに行ったんです。その時に「せっかくNYへ来たんだから、とりあえずなにかゲットして帰らないと」と思たんですよね。当時、ピチカート・ファイヴはアメリカでも活動していて、友人のツテでピチカートのマネージメント会社へ行き、バッファロー・ドーターの現状を話したら、”是非、一緒にやろう”と言われて。

 

シュガー まずは一回アメリカでライブやってみようと渡米しましたね。NYとボストンでライブをやって。それが盛り上がり、マイクから正式に<GRAND ROYAL>と契約しようという話になったんですよね。

 

大野 それが96年かな?

 

シュガー いや、前年の95年じゃなかった?

 

大野 96年の2月ごろButter 08とライブをやったじゃない。その年の3月に契約したんだよ。

 

シュガー その年の夏に『Captain Vapour Athletes』を出したんだよ。そんな半年でレコードが出る?

 

大野 だって、すごく寒かったでしょ? 2月の寒いNYでライブをやって。

 

シュガー そうだ!わたしたちは新しいアルバムを作る気満々だったんだけど、マイクから最初の作品は「<Cardinal Records>音源のコンピレーションにしよう」と言われたんだ。それほど制作の時間はかからなかったんだ。

 

大野 マイクから「すぐにもう出したい」という話があってね。96年の9月にButter 08がアルバムをリリースして、1週間ほど一緒にツアーをやって。

 

シュガー その後、11月にルシャス・ジャクソンがツアーをやるから、前座をやってくれと言われたんだ。

96年の<GRAND ROYAL>といえば、チボマットとあのマイク・ミルズが在籍したButter 08、ルシャス・ジャクソン『Fever in Fever Out』など、オルタナティヴ~フリーフォームな傑作が発表された年。その中でも、バッファロー・ドーター『Captain Vapour Athletes』は、世界中の音楽愛好家に熱狂を持って受け入れられた。

 

シュガー <GRAND ROYAL>に在籍していたベン・リーはオーストラリア、ジョゼフィン・ウィッグスはイギリス、アタリ・ティーンエイジ・ライオットはドイツ。いろいろな国の人たちが混在していた中の日本人のバンドという捉えられ方で。

 

大野 お客さんの盛り上がりは凄かったよね。

 

シュガー もう激ウケ(笑)。基本的にオープニングバンドなので、まだバッファロー・ドーターを目当てにしていくる人はいなかったんです。最初は人がまばらなんだけど、だんだん飲んでいるお客さんがステージの方へ寄ってきて、ある曲をやると死ぬほど盛り上がり、最後の方に303を使う曲ではもう大盛り上がり。どの会場へ行っても、かなり手応えがありました。正直、当時は日本でのウケがいまいちだった。最後まで見ているんだけど、いいのか悪いのかわからなくて。同じ曲でも日本でやるのと、アメリカでやるのでは全然違いましたね。それで日本でもウケるようになった時は、逆に引きました(笑)。

 

ムーグ山本 アメリカのライブで受けたというのは、あまり実感がないんですよね。なんというか、あんまり覚えてない(笑)。ただ、現地のメディアに取材をされると「今渋谷ではなにが起きているんだ?」と必ず聞かれたことは覚えています。「なんでキミたちは(アメリカ人でも知らないような)アメリカの60年代や70年代の音楽に詳しいんだ?」とかね。海外では、日本人って若く見られますから。それなのにめちゃくちゃコアな電子音楽とか知っているし、マイクさえ知らないような元ネタを知っていたりするのは、驚きだったんじゃないですかね。

 

大野 確かに、それまで日本のバンドで一番有名だったのは少年ナイフだったんですよね。ストレートなロックだったけど、ピチカート・ファイヴやボアダムスも、全然違うから驚かれたのかもしれません。

 ボアダムスはニルヴァーナやソニック・ユースと、コーネリアスがベックなど。世界中の音楽家が、日本から生まれた新しい音楽を発見し、共演~発展していった90年代中頃。バッファロー・ドーターは『New Rock』(98年)や『I』(2001年)を発表。よりワールドワイドな活動を展開していく。

 

大野 『New Rock』からツアーが長くなったね。2ヶ月以上の日程を、年に2、3回やっていたような。ヨーロッパでプレスツアーの後、アメリカで1ヶ月くらいツアーがあって、その後またヨーロッパへ戻ってツアー。

 

シュガー いつ日本に戻れるのか?って思ったよね(笑)。あまり着替えなんか持っていかなかったけど、「いい加減靴だけでも変えたい!」とかありました(笑)。でも、アメリカにはかっこいい靴がなかなか売ってないんだ…。

 

大野 「いい格好していると、狙われちゃうから汚い格好でいなさい」と言われてましたね。

 

シュガー アメリカの五大湖周辺を3周くらい回ったね。全部で50箇所くらい。

 

大野 『New Rock』で<GRAND ROYAL>を離れたから、過酷なツアーは98年ごろで終わっていると思う。

 

シュガー ツアー疲れからブレイクが必要だったし、早く新作に取り掛かりたいと思ったんですよね。『I』は曲がたくさんできたので、ちょっと時間がかかった。それで<GRAND ROYAL>のG-SON スタジオでも録っている最中、<GRAND ROYAL>が倒産しちゃったんですよ。原盤権の所在がわからなくなってしまい、しばらく再発することができなかったんですが、最近ようやく原盤権が自分たちの手元に戻ってきました。

 

 

 

 これまでCDとして発売されていた『Pshychic』(2003年)、そして『euphorica』(06年)が、初めてアナログ盤として再発された。
『Pshychic』はライブでもお馴染みの「303 LIVE」を収録。ベースマシーンの名機として知られるローランド<TB-303>のループと、ラフな生ドラムのビートで、フロアキラーとなっている名曲。『euphorica』は、長尺の曲が多かった前作より、比較的ポップで聴きやすい曲が目立つ。中でもムーグ山本氏熱唱の「Peace」は今一度爆音で聴きたいエッジのある楽曲。そんな名盤の初レコード化に関しても、音質には並々ならぬこだわりがあった様子だ。

 

シュガー すでにストリーミングでは聴くことができます。CDで再発しようと思ったんですが「いまCD聴かないよね」という話になって、アナログになったらいいなと思っていて、<GRAND ROYAL>作品はレコードでもリリースされていたんですが、『Pshychic』と『euphorica』のレコードはなかった。
本当は昨年バンドが結成25周年だったので、すべてのアルバムをアナログ化しようという企画があったんですけど、まずはレコード化されていない2枚に絞ったんです。

 

大野 昨年はニューアルバムの準備もあったりして、遅れたということもあるんだけど…。アナログ化に関して準備もありました。

 

シュガー アナログ用にマスタリング(マスターを制作する作業)をやり直しました。『Pshychic』と『euphorica』は発表当時、高音質のSACD向けにリマスターが施されていたんですが、アナログ盤用のリマスターをエンジニアのオノセイゲンさんにお願いして。全然違いましたね、素晴らしい仕上がりになっています。

 

大野 CDの音もよかったけど、アナログで聴くとまた全然違うんですよ。

シュガー バイナル専用のマスタリングというのが、実は今回初めてで。<GRAND ROYAL>からリリースされたレコードに関しては、当時はCD全盛で、レコードはDJプレイ用と考えていたんです。だから、レーベル側に任せていたところがあった。でも、現在はレコードで音楽をじっくり聴くという人も多いから、音質を考えて。

 

大野 マスタリング現場に立ち会って、実際に聴きながら、あれこれ言ってましたね。

 

シュガー そう、発見もあった!『Pshychic』に収録されている「303 Live」は、曲の長さが20分あり、B面丸々使って収録しているんです。マスタリングスタジオで聴いている時、「303」の丁度中頃くらいに、エンジニアのzAkが「ここ、少しだけ音が小さくなっていない?」と言ったんですよ。するとセイゲンさんが「わかっちゃった? ここね、内周に入っているから、少しだけ(音を)絞っているんだよね」と説明してくれました。内周というのは、レコードって外側から内側にかけて針が溝を読んでいく。太い溝の方が
音数(情報)が多く込められるんです。だから、音がいい。ところが、針が内側へ進むほど、収録時間の関係もあって、大きな音用にバーンと溝を切ると、隣の溝とぶつかる可能性が高くなり、それが針飛びする原因になるそうで。その防止策として、低音と高音を少し制御する作業が必要みたいなんです。

 

大野 聴感上はまったく問題ないんだけど、目からウロコの話だったんですよね。

 

シュガー アナログ最盛期にA面B面の1曲目って、重要だったとされたじゃないですか。それは一番最初に針を落とすからだと思っていたんですが、実はそのレコードの位置の方が、いい音が刻めるからなんですよね。針飛びのことなど心配せず、ドーンと溝を切れるわけです。新しいアルバムでもレコードを作ろうと思っているから、曲順はアナログを切ることを考慮して
後半は少し音の少なめな曲を入れようかと。いい勉強になりました。

 
 5月には『Pshychic』と『euphorica』再演するライブをリキッドルームで予定している。小山田圭吾、中村達也、菊池成孔など、豪華なゲストを迎えるということで、今から楽しみだ。

 

シュガー わたしたち3人と、サポートドラマー松下敦くんと奥村建に入ってもらって。作品の再現とはいえ、完全にそのままではなく、ゲストの方に入ってもらう予定です。曲ごとに達也くんや小山田くん、菊池さんに入ってもらう予定です。今はようやく新作の方向性が見えてきて、最後のまとめに入っているので、それが終わったらリハーサルに入ります。楽しみにしていてください。

 

 

 


公演概要はこちら!

https://www.liquidroom.net/schedule/buffalodaughter20190530

 

*追加ゲストも決定!

AAAMYYY(Tempalay) https://www.instagram.com/amy0aaamyyy/

SASUKE https://www.instagram.com/sasukeharaguchi/

 

RECENT INTERVIEW

INTERVIEW TOP

RECENT INTERVIEW

INTERVIEW TOP