LITE
なぜ出会ってしまったのだろう? ヤツらとの出会いによって人生狂い咲き!?
そんな“ニクイ”やつらをご紹介。
今回は2月3日にリキッドルームにてワンマン・ライヴを行うLITEから井澤惇(写真右端)が登場。
ライヴ・ハウス・シーンで着実に実力を磨き、インスト・ロックの雄として、さらには数回の欧米でのツアーを成功させるなど活動の場を広げている彼ら。ジョン・マッケンタイア(トータス)との共作ミニ・アルバムを経て、昨年リリースしたサード・アルバム『For all the Innocence』は、シンセを導入し、まさに活動の場を広げた彼らの姿勢を音楽性そのもので体現するかのようなアルバムであった。2月3日のリキッドルームでのワンマンはそんなLITEの過去と現在が垣間みれる2部構成(詳しくはインタヴュー末で)となり、多数のゲストを迎えて行われる。
さて、バンドのなかでも自身でインディー・レーベル〈パラボリカ・レコーズ〉を運営するなど、幅広いリスナーとしての気質も伺わせる彼を音楽へと引きずり込んだ、10枚とは? そんな“ニクイ”人生を狂わせたやつらをご紹介。
井澤その後、そのときのUKロックだったり、アメリカのロックだったりいろいろ広く浅く聴いてて、いちばん衝撃来たのがレディオヘッドの『KID A』ですね。タワレコに新譜として出てて。一度、レンタルで『ザ・ベンズ』を聴いたことがあったんだけど、当初はしっくり来てなくて……でも、このときに『KID A』を聴いたら驚いて。だから『OKコンピューター』抜けてたんですけど(笑)。
── どのへんがいちばん?
井澤作品としてすごくかっこいいと思ったし、とにかく気になる存在にしかならなくなって。その後、全作品を聴き直したら、『KID A』になる進化の過程がわかって。音楽性が「こうだ」と思った方向に変われるバンド、変化できるバンドっていうのがわかって。変化をいとわないという姿勢はたぶんLITEでも相当影響を受けてますね。バンドでそういう音を作ったというのがすごいというか。そのとき高校生でハードコアのバンドやってたんですよ。自分のなかでの音楽って、それこそ元気があって、力技というかパワーがある音楽がそのときはすべてだと思ってて。高校生でハードコアのバンドやってて、4人でそういう電子音を入れようなんて会話はまったく想像がつかないと言うか(笑)。
── ダハハ。「バンドだろ!」で終わりそうですね。
井澤そのときは、でも本当にいろいろ柔軟に聴いてみようって意識が強くて。『BANDやろうぜ』とかに載ってたヴィジュアル系も聴いたりしてたし。本当よくわからない聴き方してましたよ。あとはライナーノーツがすごい好きだったんですよ。そこに出てくるバンドとかも聴いて。
── とにかく吸収していた時代だと。
井澤そうですね。その時代に印象が強いのがレディオヘッドですね。あとは高校生の頃だとレッチリかな……あ、でもそろそろ大学生の頃聴いてたのにいきたいな。
井澤レッド・ツェッペリンとキング・クリムゾンはでかいですね。もちろん、その前からツェッペリンは知ってて、かっこいいと思ってたんですけど、深く入り込むきっかけは、大学に入ってバンド・サークルに入ったら、そこの部長がゼッペリン・マニアだったんですよ。すごいおもしろくて、一緒にバンドもやってたんですけど。そんなに彼が崇拝してるんだったら、聴き直さないとなと思って。ある意味でブラフマンに衝撃を受けたときの感覚に近いのかもしれないですけど、4人それぞれのオリジナリティがハンパ無さ過ぎて。それはライヴで観たわけではないんですが、音とかライヴ音源聴いて「ココがヤバい」と熱く話せる場所で。後期を聴いたことなかったのを、この頃、後期を聴いて。そこで『Presence』の録音を聴いたときに衝撃的でしたね。
── 音楽的にどの部分っていうのをもうちょっと具体的に言うとどこですかね?
井澤バンドの4人がオリジナリティみたいなところでもうちょっと言うと、やっぱり俺もベーシストなんで、ジョン・ポール・ジョーンズの話になっちゃうんですけど。他の3人のカリスマのなかで、自分のできる最大限のことをやっているというか、そういうベーシストの立ち位置を体現している人というか。曲によってはベースを弾いてなくて、オルガン弾いてる曲があったりとか。「そういうやり方もあるのかな」って。
井澤これも大学時代の思い出というか。でもいまでも聴いてるからなぁ。
── これも改めてその頃に聴いてという感じですか?
井澤そうですね。俺『21世紀の精神異常者』しか持ってなかったですから。これは、まずベースの音の良さがハンパ無くて。いまだにですけど、このジョン・ウェットンみたいなベースの音が作りたいと思ってますね。あの音をどうやって作ってるだろうって、西新宿でライヴの海賊盤とかも何枚も買って、文献も読んで、とかしてましたね。文献読んでたら、あの人のベースのフレッドが削れすぎて、ナチュラルにひずみが出てあの音って言うのがわかって、それは無理じゃんって(笑)。
── さすがに削るまではしませんでしたか?
井澤買ったばっかりだったんで(笑)。『レッド』に関しては言いたいこと多すぎるな……プログレッシヴ・ロックっていうジャンルに対する入り口でもあったんですよ。なんで変拍子であるのか、キメがあったり、思想、宗教とか、どういう背景があって作っていたのかとか、そういうものを教えてくれる先輩がいたからなんですけど。「(プログレの)魅惑の入り口」みたいになってて。文化祭のサークルのライヴで、そこでキング・クリムゾンをコピーしたんですよ。『レッド』の曲と『21世紀の精神異常者』の曲を、ジャズ研からサックスを呼んで、ヴァイオリン弾き呼んで、8人編成で。で、それをやったときの対バン相手がLITEだったんですよ。
── たしか、井澤さんはいちばん最後に入られたメンバーだったんですよね。その前のベースの方がいらっしゃる時代ということですね。
井澤そうですね。そのへんでも『レッド』は思い入れが強いんですよ。
- 『ファースト・デモ(非売品)』(200?)
- LITE
井澤で、その頃の、俺が入る前のLITEに影響を受けているんですよ。なんで、5枚目は、リリースされてないものなんですけど、俺が入る前のファースト・デモで。そのクリムゾンやってたのとは別のサークルの先輩が、LITEのいまのドラムで。さっき言った俺らのクリムゾンのコピー・バンドの前に出演していたのがLITEで。その頃、インストのロック・バンドの存在自体を俺は知らなくて、だからライヴを観たときに、歌がないのに、ここまでバンドだけで持って行けるバンドってすごいって思って。
── インストの魅力に目覚めたバンドだと。
井澤ライヴのときに2曲入りのデモを100円で買って聴いて。ちなみにその曲はファーストのミニ・アルバム(『LITE』)に入ってる曲なんですけど。そのときのLITEは、なんていうんだろう……ロックなんだけど大人しい、フュージョンみたいにテクニシャンが集まったバンドだったんですね。ある意味でクリムゾンに自分のなかでは近いと思って。とにかく考え抜かれてたんですね。プログレみたいにドラマチックで展開もあるのに、ロックの3分から4分ですっきりと聴けて長くないとか、すごい新しいなと思って。「この発明家たちはなんなんだ」って衝撃的でしたね。
── しかも、ほぼ同じ位の世代で。
井澤だから、ちょっと悔しいなって思いましたね。自分がやってるバンドもなんか新しいことを見つける格好よさみたいなものをやりたいなと思ってた矢先に、LITEに誘われて。そのとき6バンド位やってたんですけど、サポートからはじめて。
井澤一番最初のスタートといったらブラフマンですかね。いまのバンドというより、自分の音楽を聴く生い立ちのスタートというか。すでに中学生のときに遊びでバンドをはじめた後で、そのときに「こういうバンドをやりたい」と思ったのはブラフマンですね。
── はじめにいちばんしっくりきたという感じですか?
井澤そうですね。音楽とかも良くわかってないときに、中2でベースをはじめたときも、本当に遊びの範囲という感じで。全然音楽の知識はなかったんで、バンドをやるうちに、“ベスト・プライス”って書いてあるような洋楽の名盤CDみたいなのを脈略なく一杯買って聴いて。それこそパンテラとかディープ・パープル、ガンズとか年代もジャンルも関係なく(笑)。そこからベースをコピーして、自分たちのバンドでやったりして……。でも、なかなか日本のバンド・シーンみたいなものに目がいきづらいじゃないですか? で、文化祭なんかで先輩たちがハイスタとかブラフマンとかのコピーをやってて、いろいろ日本のアーティストも聴いてみようと思って、いちばんガツンと来たのがブラフマンですね。すぐに自分でライヴを観に行こうと思ったくらい好きになって。ライヴを見たときにやっぱりバンド全体としてリアルにすごいと思って。バンドをやることの目標というか、それこそブラフマンが出てるライヴ・ハウスに出てみたいとか、オーディションを受けたりする感じで、何度も落とされてって。
── 自分が表現することの起点になっていると。
井澤:そうですね。ライヴでの動きとか、日本のバンドでいちばんかっこいいのがブラフマンだと思ってやり続けてたのが中高生の頃でしたね。ベースとしてはココバットとか、〈AIR JAM〉とかも行ってたんでその周辺のバンドはすごい好きでしたけど、やっぱりバンドの存在感ということで言うとブラフマンですね。