キセル
なぜ出会ってしまったのだろう? ヤツらとの出会いによって人生狂い咲き!?
そんな“ニクイ”やつらをご紹介。
今回は、3月5日開催のLIQUIDROOM presents “UNDER THE INFLUENCE”にメレンゲと出演のキセルの辻村兄弟が登場。5月25日に廃盤となっていたシングルのB面やレア・トラックなどを集めた編集盤『SUKIMA MUSICS』をリリースすることが決まっている。
また、その編集盤発売直後の6月11日にはリキッドルームで恒例のワンマン・ライブ〈スキマミュージック〉が開催決定。
さて、唯一無二なキセルのサウンドは、兄、豪文と弟、友晴のどんな音のやりとりから生まれたのか? ふたりをキセルへと向かわせた10枚とは? そんな“ニクイ”やつらをご紹介。
- 『And Then Nothing Turned Itself Inside-Out』(2000年)
- Yo La Tengo
豪文でもかぶってるのも多いしな……。
友晴えっと、これも宇治にいる時期かな。ヨ・ラ・テンゴ。視聴して初めて知ったんですけど、さっきのオプティガンもそうでしたけど、こういう少しエフェクトの利いた雰囲気、音像にどういう歌メロを乗っけるかっていうのに、すごく耳を持っていかれてました。歌詞は英語なんでわからないんですけど。
豪文歌詞カード読んだらええのに。
友晴いや、載ってなかったような。
豪文これも弟から教わって。
友晴それで兄さんがむっちゃはまって、兄さんの方が最終的には詳しいな。アルバムも兄さんのほうが持ってる。
豪文オルタナっぽいのはやっぱりまわりで流行ってったんですけど、あんまり聴いてなくて。でもヨ・ラ・テンゴとペイヴメントははまって聴いてました。
── ヨ・ラ・テンゴを聴いた1枚目というとコレだと。
友晴僕はそうですね。
豪文俺もそうですね。
── そこから前の作品とか、後の作品も聴いていくと。
友晴そうですね。
豪文3人でやりきってる感じがいいなと。あとライヴも含めて引き出しの多さ半端じゃないなぁって思います。
友晴あと僕的には、緩やかやけどしっかりビートがあるみたいなのがポイントだったりするのかな。こういうのをやりたいと思ってたところはあるかも。
豪文僕はコピーとかしても全然違う感じの曲ができたりしてました。質感とかいろいろ含めて真似できひんよね。
友晴買った当時は、家ですぐにその世界観みたいなものをインストで真似て宅録して遊んでましたね。
豪文できひんかったけどね。
友晴もちろん。でも、兄さんが外出してるときにエフェクターを勝手に借りて……。いまでも行き詰まったりしたら聴くもんな。いつ聴いてもすごいアルバムやなと思います。
- 『Field Recordings From The Cook County Water Table』(1999年)
- Brokeback
友晴これは僕だけだと思うんですけど。これはこのバンドの1枚目だと思うんですけど、90年代の後半っていわゆる“音響系”って流行ってたじゃないですか?
── いわゆるシカゴのポストロックとかですよね。
友晴そうそう、トータスとか。で、そのなかでブロークバックはベースがメインなバンドで、丁度自分がベースをはじめた頃だったっていうのもあって特に印象強かったのですが、ベースってリズムを支えるボトムというイメージがあると思うんですけど、このブロークバックのベースは六弦で、ギターのようにコードやメロディを担ってたり、ベースが2本入っている曲があったりするのを聴いて、「なんか、なんでもありなんや」と思って。「ベースでこういうことしてええねんな」っていうのをベースの基礎が固まる前にこれで知ってしまいました(笑)。ベースでコード弾いたりとかをやり始めたきっかけですね。メロディラインもすごい好きで、今でも自分の作るインストは影響をすごい受けてるなと思いますね。
── そういう意味ではアイディアを自由にしてくれたと。
友晴そうですね。曲調は暗めなんですけど、僕にとってはすごいポップというか。難しいことをやってるんだとは思うんですけど。
── その他のポストロックとかは?
友晴シー・アンド・ケイクとか聴いてましたよ。でもそこまで追いかけていったっていうわけでもなくて。
- 『風街ろまん』(1971年)
- はっぴいえんど
友晴これは高校生の時。兄さんと同じ部屋で二段ベッドだったんですけど、兄さんが寝る前に音楽を聴くんです。その時にかかってて。僕が高校生の時ってハードコアが流行ってて、周りもみんながそうやったから、そういうのは嫌やなって思ってて。今はめっちゃ凄いなって思うんですが、当時は一線置いてた気がします。そういう中で兄さんの聴く音楽は別のところにいて、とても新鮮でした。
豪文ちょっと歳も離れてたしな。
友晴その時に はっぴいえんど を聴いて、すごい良いと思って兄さんに「これ良い、どうやって弾いてるの?」とか訊いたり。教えてくれへんかったけど(笑)。でも、そんな時に好きになった人が、今カヴァーさせてもらったりとか、お会い出来たりとか、凄いなって思いますよね。
豪文大学でサークルに入ったとき、99年とかなんですけど、はっぴいえんどみたいな格好してはる先輩がいて。その先輩とかに教えてもらったりして、そこから聴きはじめて。ああいうサウンドで日本語っていうのが衝撃的で。これを聴くまで高校生のときは洋楽とかばっかり聴いてたから、歌詞的にも語感とか内省的な感じとかすごい新鮮で。自分で歌うっていうのは、それまであんまり考えてなかったんですけど、サークルのバンドが基本オリジナルでやってたっていうのもあって、あ、やってもいいんやって思うようになって。
── 音はもちろんですけど、歌っていうことに関しても気づかされた部分があったと。
豪文そうですね。
- 『Songs of Leonard Cohen』(1968年)
- Leonard Cohen
友晴レナード・コーエンは、先に兄さんがベストかなんか持ってて。これも宇治にいたときに聴いてたんですけど。レナード・コーエンで一番好きなのがこの1枚目で。歌、曲、アレンジ、全部がなんて言うんだろう……好き。
豪文シンガー・ソングライター系みたいな人を聴くようになって、最初はロン•セクスミスとかから入って。
友晴え、そのつながり?!
豪文いや、そういう感じの人をいろいろ聴くようになって、なんかはまったのがレナード・コーエンやった。他の人とちょっと雰囲気が違うっていうか……なんて言うか、クサいよね。静かで穏やかやけど、いい意味でねっとり暑苦しさがある感じが。
友晴まぁ、でもフォークというか。
豪文フォークでもないというか。カントリーっぽくないし、メロディーがめっちゃ強い。
友晴だからクサさがあるっていう。
豪文やし、すごい不思議な立ち位置の人やなっていう印象があって。
友晴詩人やもんね。
豪文曲はすごいシンプルやけど、真似できひんっていうか。
友晴それを僕らがやると、本当にクサくなるんですよ。ベタなものになるんですよ。
豪文でも、ふたりとも好きですね。
- 『Does』(1999年)
- LATIN PLAYBOYS
豪文次は俺で、ラテン・プレイボーイズ。もともとはロンセクとか、スザンヌ・ヴェガとかのプロデュースをチャド・ブレイクがやってて、それで知ったんですけど。音の質感とかがさっきのオプティガナリーとかともまた違う感じで、ローファイと言えばローファイなんですけど。なんかそこにいい歌が乗っててっていう。普通にバンドでオーソドックスに歌をアレンジするっていうよりも、ブレイクビーツっぽい雰囲気とか、音像で持っていく感じがキセルはじめるきっかけになりましたね。最初の頃は特に。今になって聴くとすごいちゃんとアレンジされてるっていまさら思いますけど。ふたりではじめて、ドラムもいなくてやるのに、どうやってやろうかっていうところで。もともと宅録からはじまってたから、その辺で影響を受けたかなと。
友晴まずはオプティガナリー・ユアーズですね。買ったのは発売された時位だったと思うんですけど。キセルをやりはじめるぐらいかな。まずはジャケット買いで買って、打ち込みっていうか、昔のレコードとかそういうのをサンプリングしてるみたいなんですが、むっちゃローファイな音色なんですよ。
豪文もともとオプティガンっていうすごい昔のエレクトーンみたいなのを使ってやるっていうのがコンセプトのアーティストで。で、こっちが2枚目で。1枚目でそのネタが尽きたんか、違った作り方で、でも世界観はそのままで。
友晴これはふたりとも好きなんですよね。キセルの当初のテーマじゃないですけど、ローファイなものの中に歌と独特な音の世界観やビートがあって、その組み合わせが好きで、当時は凄く影響はされました。初めて作った“ニジムタイヨウ”っていうアルバムはそういうの参考にしてましたね。
豪文ぜんぜん、できひんかったけど。
友晴そうそう(笑)。
── ご兄弟でずっと好きな作品になったって感じなんですね。
豪文そうですね。最初弟から借りて、すごい聴いてましたね。
友晴コンセプトっていうと大げさですけど、ざらついた音色でモヤがかかった感じの音をやりたいなというのはあったと思います。当時はカセットMTRと一緒にライヴやったりしてましたしね。
── そういうおふたりの音源のやりとりって、弟さんからお兄さんにって感じのが多いんですか?
友晴いや、両方って感じっすね。
豪文でも、弟からのほうが多いっていうか僕が好きで聴かせたやつは拒否反応があるというか「もう知ってるからいいや」みたいな、小競り合いがありますね(笑)。