JAMES CHANCE
“ノー・ウェイヴ”という言葉にしっくりきたことなんてない。自分の音楽はユニークであり、ジャンルに収まるべきでないと感じている
1970年代後半、ニューヨークの地下に広がる自由なる荒野。ラモーンズやブロンディ、テレヴィジョンといったパンク・ロッカーたちの後に、そこに流れ込んだ連中はパンクをさらにフリークアウトさせた。ときには実験音楽や映像作家、現代美術の連中とも異種交配を繰り返しながら。ロックのルールなどくそ食らえとばかりに暴れに暴れ、いつしかそれはひとつの流れを作った。その流れに目を付けたブライアン・イーノは彼らをまとめ、コンピレーション『No New York』を送り出す。その流れはノー・ウェイヴと呼ばれることになる。
リーゼントとサックスの男——ノー・ウェイヴのアイコンのひとり、ジェームス・チャンス。ノー・ウェイヴの中心的レーベル〈ZE〉(編注1)を拠点に70年代末から80年代初頭にかけて彼がコントーションズ、ジェームス・ホワイト&ザ・ブラックスなどの名義で残した作品はロック・シーンはもちろん、ダンス・ミュージックにまでその影響を与え続けている。それこそ、そのささくれ立ったヴォーカルにディスコ/ジャズ・ファンクが細切れに投げ込まれた痙攣するベースラインは、00年代のニューヨークのアンダーグラウンドを象徴する〈DFA〉の青写真のようでもある。つい先頃も、彼のキャリアをまとめた2枚組ベスト盤『Twist Your Soul -The Definitive Collection』がリリースされたばかり。30年以上月日を経た現在でも、そのサウンドは先鋭なる響きを持っている。その上、ジェームスは齢60近くにしていまでもバリバリの現役。5月19日には現在のコントーションズを引き連れてひさびさの来日公演を行う。共演は当時のニューヨークで一時期活動を共にし、そのノー・ウェイヴの衝撃を日本にも投げ入れ、東京ロッカーズ・ムーヴメントの中心的存在となったレック率いるフリクションだ!
来日公演を記念して、ジェームスへメールにてインタヴューを試みた。
── 日本でのひさびさのライヴです。前回の日本の印象をお教えください。
ジェームス前回の来日はライヴやインタヴューで忙しかったので、日本のことを充分には見れてないんだけど、覚えていることといえば……京都の小さなレストランでとても古い梅酒を飲んだこと、極端な西洋風のファッション、メーク、ヘアスタイルなどをした大勢の女子中高生たちが大阪のホテルの周りのショップにいたこと、巨大なブルー・ノート系のレコード・コレクションを持つ東京のジャズ・コーヒー・ショップのこと。しかし一番強烈なのは渋さ知らズオーケストラとのコンサートだ。ミュージシャンやシンガー総勢20名の大所帯、ワイルドな衣装のダンサー。それに日本の怪獣や、巨大な手のような小道具がバルコニーから揺れていたんだ。
── 今回のライヴではレックによるフリクションとの共演です。彼の印象などをお聴かせください。
ジェームスレックはベースを弾いていて、ティーン・エイジ・ジーザス&ザ・ジャークス(Teenage Jesus & the Jerks:編注2)、最初のコントーションズ(Contortions)で二ヶ月ぐらい一緒に演奏していた。彼はとてもクールに見えたから、リディア・ランチは彼をティーン・エイジ・ジーザスに入るよう誘っていた。実は彼のベースがティーン・エイジ・ジーザスを纏めていたんだ。なぜならば、リディアのギターもブラッドリー・フィールドのドラムもまるで素人だったから。しかし、レックの本来の楽器はギターだし、それに残念ながらまだ彼のバンド、フリクションをちゃんと聴いたことが無い。だから一緒にショーを行うのを楽しみにしている。
── また日本ではご自身の選曲での2枚組のベスト盤『Twist Your Soul -The Definitive Collection』がリリースされたばかりです。選曲にあたってなにかコンセプトはありましたか? またリリース・タイミングなどでなにか思うことはありますか?
ジェームス『Twist Your Soul』のアイデアは、まず1枚目のCDに全キャリアを網羅するスタジオ音源を、2枚目にはリリースされていない自分のプライヴェート・コレクションからのライヴ音源を入れることだった。基本的には、自分の個人的なお気に入りからのみ選ぶようにした。ファンクを強調しようと一般には認知されていないようなトラックも入れてみた。ライヴ音源の多くは90年代のコントーションズからが多い。90年代は、あまり知られてないアルバムを一枚作っただけなんだけどね。
── もともとジャズ・ミュージシャンを目指していたのに「ロックのほうが向いている」と思い、CBGB、マックス・カンザス・シティなどのニューヨークのロック・クラブで演奏するようになったととある本で読みました。なぜ「自分はロックに向いている」と判断されたのですか
ジェームスいくら自分がジャズを愛していても、当時のジャズ・シーンとは合わなかったんだ。俺の全体のスタイルや態度があまりにもロックンロールに因っていた。デイヴィッド・ムーレイ(David Murray:編注3)というフリージャズ・ミュージシャンからサックスのレッスンを受けはじめた頃、「お前の演奏はジャズにはならない、お前のギグはロックスターのものだ」と彼から第一声ぐらいに言われたんだ。自分でもジャズの観客は退屈で、ヒッピー時代ひハマったままだと常に感じていた。だからマックス・カンザス・シティやCBGBのほうがぴったりきたし、自分の好きな他の音楽(ファンク、フリージャズ、パンクロックの攻撃性)をひとつに出来れば、ロック以外の観客も惹きつけられるのでは、と思い始めた。ジャズだけで出来ることより、もっとオリジナルなものになると思ったんだ。
── ターミナル・シティ名義では近年ジャズをプレイしていますが、ジャズという言葉を聞いていちばん最初に浮かぶことをひとつ教えてください(アーティスト名、場所、概念などなんでも良いです)。理由も教えてください。
ジェームス“ジャズ”という言葉を聞いて、まず最初に思い浮かんでくるのは、雰囲気。クラシックで煙いジャズ・クラブの。そして、レスター・ヤングやアート・ペッパーみたいなムーディーなサックスの音がそこに浮かんでくる。
── また、カヴァー楽曲もあり、あなたのその名前が示すようにあなたにとってジェームス・ブラウンもひとつ大きな存在だと思います。彼の偉大さが最もわかる曲1曲教えてほしいといったら何でしょうか? 簡単な理由も教えてください。
ジェームスジェームス・ブラウンの曲で一番強く感銘を受けたのは、自分の音楽に限っていうならば“Super Bad”。あのスーパー・ハードなファンクとフリー・ジャズ・サックスソロが、自分が進む方向性を示し、導いてくれたから。
── 今でも“ノー・ウェイヴの寵児、象徴”などと呼ばれることに違和感はありませんか?
ジェームス“ノー・ウェイヴ”という言葉にしっくりきたことなんてない。自分の音楽はユニークで、ジャンルに収まるべきでないと感じている。寵児や象徴について言うならば、自分が寵児や象徴だと思うようなやつは自分勝手なバカだよ。
── 80年前後、いわゆる“ノー・ウェイヴ”と呼ばれてたいた当時のニューヨーク・シーンを振り返って、あなたの創作活動の源はなんでしたか?
ジェームス質問が漠然としすぎていて、答えるには本一冊ぐらい必要だ。しかし源のひとつは怒り、そして暴力(ヴァイオレンス)。特定のものに対してではなく、全人類のありさまに向けてのヴァイオレンス。
── それでは、特定のもので今、最もむかつくものは?
ジェームス宗教団体。特に、全てに対して答えを持っていると思って、そんな自分の哲学を人に押し付けようとしている連中がむかつく。
── 当時、ラリー・レヴァンのパラダイス・ガラージに出たことがあるという噂を聞いたのですが、ライヴのときはどのような状況でしたか?
ジェームスパラダイス・ガラージのギグは1978年の春、クラシックなコントーションズ(Pat Place, Jody Harris, Don Christensen, Adele Bertei, George Scott)とだった。ヘッドライナーはリチャード・ヘル(Richard Hell & the Voidoids)、ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスも出演していた。確かプロモーターは黒人で、夜は普段閉店している店だった。だからディスコ系の常連客はいなくて、ほぼバンド達のファンだけだった。
── “Twist Your Soul”や“Contort Yourself”など、タイトル名がいつも端的で挑発的です。影響を受けた、文学、本などはありますか?
ジェームス若い時は、ウィリアム・バロウズの『裸のランチ』、『ジャンキー』、ジャン・ジュネの『花のノートルダム』、ヒューバート・セルビー・ジュニア『ブルックリン最終出口』、『夢へのレクイエム』、ウラジーミル・ナボコフ『アーダ』、そしてジョン・レチー『夜の都会』あたりがお気に入りだった。その後から犯罪フィクションのノアール(noir)であるジム・トンプソン、デビッド・グーディス、コーネル・ウールリッチ、ホレス・マッコイ。さらにアフリカ系アメリカ人であればアイスバーグ・スリム、ドナルド・ゴインズなどの作家にハマった。SF系ではフィリップ・K・ディック、ファンタジーだったらクラーク・アシュトン・スミス。そしてハーバート・ファンケ(Herbert Huncke)というビート系作家が大好きだ。バロウズや(アレン)ギンズバークとも友人で、有名ではないけれども彼らにとっても刺激的な存在だった。(編注:その著作は残念ながら日本未訳出)。映画化もされた俺の愛する2冊はウィリアム・リンゼイ・グラハムの『悪魔の往く町(原題:Nightmare Alley)』とジェラルド・カーシュの『夜と都会(原題:Night and the City)』。ただ上記の作家はすでに全員亡くなってしまったし、現在ではそれらの本のようなレベルのフィクションはとても少ないと思う。最近はほとんど歴史、犯罪及びスパイ系のノンフィクションを読んでいるよ。
── 最後に数多ある音のなかで唯一これだけは我慢できない音とはなんですか?
ジェームス赤ちゃんの泣き声は我慢できない音のひとつ。多分、自分に子供がいないからかな。音楽の種類でいうと、セリーヌ・ディオンみたいな人たちが歌っている、最近の大げさなバラード。インチキくさいうえに、曲自体も俺が愛するコール・ポーター(Cole Porter)やガーシュウィン(Gershwin)等たちの名曲バラードと比べて全くおもしろみがない。
(編注1)ZE RECORDS:イギリス人のマイケル・ジルカ(Michael Zilkha)とフランス人のミシェル・エステバン(Michael Esteban)によって1978年に設立されたノーウェイヴ期のニューヨーク・アンダーグラウンドを象徴するレーベルのひとつ。レーベル名は彼らのイニシャルに由来する。ちなみに彼らふたりを引き合わせたのはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイル。
(編注2)ジェームス・チャンスと並ぶノー・ウェイヴの“女王”リディア・ランチ率いるバンド。セックス&ヴァイオレンスなパフォーマンス、というか存在自体が常にセンセーショナル。映像作品やポエトリー・リーディングなど活動は多岐に渡る。
(編注3)フリー・ジャズのテナー・サックス奏者(ときにはバス・クラリネットも)。フリー・ジャズの巨匠、アルバート・アイラーなどに影響を受けてフリーの道へ、1970年代から現在に至るまで活動中。
- 『DEEPERS』TRIPPIN’ ELEPHANT RECORDS)
- FRICTION
今回ジェームス・チャンスと共演するフリクションの目下の最新作。1978年結成以降レック(Ba.)中心に、メンバーチェンジを続けながらも傑作をリリースし続け、2006年からは中村達也(ex.BLANKEY JET CITY / LOSALIOS)をドラムに迎えての2人編成で活動中。満を持しての14年ぶりのオリジナルの本作は新曲2曲、カバー2曲を収録。2人編成とは思いもよらない圧倒的なスケール、両者のあまりにオリジナルな存在感。削ぎ落とされた音のぶつかり合いから生み出されるグルーヴは、独特なセンスで吐き出されるレックの言葉と共に気持ちよく意識を翻弄してくれます。イギー・ポップ&ストゥージズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックス の並びだけ見ると内容が想像できない曲たちもフリクションの魅力が一層際立つ「これぞカヴァー」な3曲です。(渡邉)
2枚組全30曲、トータル2時間半もの時間に自身のお気に入り楽曲をふんだんに散りばめた今作は過去~現在を行き来できるタイム・トラベル的ベスト・アルバム! ディスク2には「いやいや、過去の音源全て持ってるからベストなんて買っても…」というファンにもうれしい未発表ライブ音源(ジェームス・チャンス自身のコレクションから引っ張ってきたもの)。2007年渋さ知らズとのセッション、新生コントーションズのカヴァー曲群に、オルガンを演奏するインストあり……語りきれないほどのレア・トラックを収録。また、ライナー・ノーツではジェームス・チャンス自身が楽曲と共に当時を振り返る。混じり気無し、100%のジェームス・チャンスをご堪能あれ!!!(市川)