醜さや美しさ全ての価値観をのみ込むカオスから生まれた芸術作品
Arcaによるファーストアルバム「Xen」ほど言葉で説明するのが難しい作品はないように思う。Arcaについての情報はこの文章執筆時点ではかなり少なく、特に日本語での情報はほとんど皆無に近い。Kanye West、FKA twigsの楽曲をプロデュースし、さらにはBjorkのアルバム制作をすると報じられているにもかかわらず、基本的に謎の人物である。しかしながら、この説明の難しさや事前情報の少なさこそが本作の一番の魅力であるように思う。
本作を聴き、またArcaのビジュアル面でのパートナーであるJesse Kandaのビジュアルイメージを観て思い出したのが、「画家よ、ヴィーナス像の足の指先だけを見て、そこから全身像を想像的にデッサンしてみるといい。ヴィーナスではなくて、せむし男の身体が出来上がるかもしれない」という、18世紀の思想家ドゥニ・ディドロの言葉である。
24歳の中性的な魅力を持つ美青年Arcaは、Jesse Kandaによる奇形的なビジュアルイメージをまとい、ヴィーナス像の指先から怪物のような本作を創り上げた。
ArcaとJesse Kandaが創った世界で鳴るのは、世界がまだ闇と光とに分かれる前の音楽であり、人が男と女に分かれる前の音楽である。そこでは、あらゆる事象が決められた価値観から解放され、醜さと美しさ、悪と善などの相反する価値観が等価で存在している。「自然のなかに不完全なものは何もない。数々の奇形でさえ不完全ではない。すべてのものは自然においてつながっている。そうして、奇形さえ、完全な動物と同様に、必然的な結果なのだ」というディドロが強調する多様性がそこにはある。
このような多様性にとって何よりも重要なのは、全てを許容し、受け入れてくれる混沌=カオスである。本作では、相反する価値観がカオスの中で作用と反作用を繰り返し、美しい秩序を得る瞬間が度々訪れる。そのような秩序は次の瞬間にはまた新たなカオスに飲み込まれていくが、そのような有機体の営みを想像させる全体の流れが素晴らしい。個々の楽曲はヴィーナスの指先だったとしてもアルバム全体を聴けば全く印象が異なる。本作は個々の楽曲ではなくアルバム作品として聴くべきことをお勧めしたい。カオスのなかで展開されるこのような有機的な営みもJesse Kandaの体内器官を連想させるビジュアルとリンクする。
世界の最初は「不定形な塊」に過ぎなかったと創世記には記されているが、その塊のなかで様々な要素が秩序なくうごめいる状態がカオスである。「美しさとは完全性である」とドイツの哲学者クリスティアン・ヴォルフは定義したが、むしろ不完全なカオスこそが美しさの源泉というべきである。カオスこそが創造の源であり、そこには予定調和などない。あるのは醜いとされるものも含めて全ての価値観を肯定し、芸術作品の域まで高めている創造性である。ArcaはJesse Kandaのビジュアルイメージとともに、カオスのなかから芸術行為として新たな世界を創造しているのである。
その意味で本作は音楽アルバムという域を超えて芸術作品というべき存在であり、音楽ファンのみならず、アート、ファッション、建築、思想哲学などクリエイティブにかかわる人に広く親しまれるべきだと思う。あえてディドロを引用し、また音楽的文脈とは異なる思考で本作を検討したのも、幅広い層に聴いてもらいたいからである。
今年6月にLIQUIDROOMで行なわれたArcaのDJ Setは衝撃だった。それこそ言葉にすることは不可能なので、次回来日のときにはぜひ体験してほしい。上述したArcaの世界観をよりダイレクトに体験できる。
Arcaの本質がカオスである以上、この創造性がこれからどこに向かうのを予測するのは困難である。本作のリリースにあたって熾烈な契約合戦が繰り広げられ、今後Bjorkのアルバム・プロデュースをすることが報じられているなど、今後無視できない存在になっていくことは明らかである。なんといってもArcaはまだ24歳である。末恐ろしいが、有機的な化学反応を得て進化していくであろう今後が楽しみである。