アナーコー・パンクの伝説、CRASS評伝
クラスの歴史がこんなにも面白いとは思わなかった。でも、正直面白いのはペニー・リンボーのヒッピー時代の話や、ペニー・リンボーがパンクになっていく過程の部分だ。そこは読んでいて興奮する。
そして、そういうヒッピーだったクラスのメンバーとグラムなんかが好きだった若いヴォーカリスト、スティーヴ・イグノラントの関係性の部分も面白い。
子供の頃はクラスに若いメンバーが入っているのがうさん臭いと思っていたのだが、今はクラスのバンドの年代が2世代に渡っている感じが、素晴らしいなと思っている。
これがクラスだったんだと思う。クラスのコミューンが上手くいっていたのもこれ。それはやはりペニー・リンボーの魅力なんだと思う。ヒッピーが理想としたものをペニー・リンボーが追い求めたというより、ペニー・リンボーの元々の性格なんだと思う。グラストンベリーのオーガナイザー、マイケル・イービスと同じ。マイケルのお父さんはメソジスト教会の神父さんで、彼もまたメソジストらしい勤勉な人で、ヒッピー臭さは一切ない。マイケル自身「グラストンベリーの成功は、自分はドラッグもやらない厳格なメソジストだったからだ」と言っている。
僕は一度クラスのあの家に行っているんだが、その時はヒッピー、コミューン、嫌いと思っていたんだけど、今、思い出すと、あの家の感じは、古き良き時代のイギリスの空気を感じた。それが7世紀なのか、14世紀なのか自分には分からないけど、ヒッピー運動も基本はそうだよね。今の官邸前運動とか、99%とかもみんなそうでしょう。自分たちべつに未来が見えるわけじゃなく、自分たちが見れるのは過去でしかない。そして、何となく、気づいているのだ、自分たちが奪われたものが何なのか。それを取り戻そうとしているだけなんだと思う。
都会が好きだと、都会で遊んでいる時、はたと思う、こんなコンクリートばっかりの場所、俺のものじゃない、俺は関係ないと。30階建てのクーラーのきいた素晴らしいビルディング、でも、それは俺のものでも何でもない、全て自分のものじゃないような気がする。自分はただこのビル群を作らされる奴隷のような気がする。デモで町を歩く、そうするとすこしだけだけど、錯覚するこの町を少し取り戻したような気がする。ヒッピーやパンクがやってきたということはこういうことなのだ。自分たちは取り戻さないといけないのだ。
そういうことをこの本は考えさせてくれる。