オリジン・オブ・ブリストル・サウンド!
ポスト・パンク時代はマンチェスターがグルーヴィーで、リバプールがサイケで、シェフィールドがエレクトリックと紹介してきましたが、ブリストルはファンクにフリー・ジャズ、ダブ、アフロなどの音楽をミックスしたバンドがたくさん出てきました。その大本はこのザ・ポップ・グループです。
パブア・ニューギニアの山岳民族マッドマンのジャケットがとにかく衝撃でした。パンク時代にこれは何じゃとみんなが興奮したのです。
東京のパンク・コンサートに、この格好できた人がいるくらい、それはそれは凄い出来事だったのです。あのジャケットがなにを意味していたのか、全然わかんないですけど、ビッビッとくるものがあったのです。
今思うと、こういう人たちともリンクし、世界同時革命をしなあかんというメッセージを僕たちは受けとっていたんだと思います。
パブア・ニューギニアの国家元首はイギリス国王なんですよね。象徴的地位ですが。
この時期のパンクスは『地獄の黙示録』に影響され、自分たちの王国をジャングルに作るという妄想につかれていたのです。エコー・アンド・ザ・バニーメンや23スキドゥーが、ジャングルのゲリラのような格好や、ステージにカモフラージュ・ネットを吊るしたりして演奏していました。
ザ・ポップ・グループのファッションはアンジェイ・ワイダの「地下水道」「灰とダイヤモンド」などの若いレジスタンスのような格好だった。戦争で服がなく、兄貴のお下がりのぶかぶかの服を、折り曲げたり、ベルトでギュッとしばたり、サスペンダーで止めている感じがかっこよかったのだ。あの頃はみんなそういう感じで古着を着ていた。
僕的には『Y』で、もう行き過ぎているだろうと思っているんで、サブウェイ・セクトに影響されていたパンク時代のザ・ポップ・グループの好きなんだけど。
『Y』はメジャーのレコード会社配給でよくここまでやったと思う。ザ・ポップ・グループの『Y』時代のレーベルのオーナーであり、エルヴィス・コステロのマネジャーであったジェイク・リヴィエラはコステロの次はリチャード・ヘルのマネージメントもしよとしていたので、マーク・スチュアートの詩にも一目置いていたんだろう。だから、ここまで好き勝手やらしたのかなと思う。
『Y』『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder? 』、そして寄せ集めだった『We Are Time』は名盤だったと思う。
どう名盤なのか、いまとなっては語りづらい、あのファンキーさがいいとか、あのアグレッシヴさがいいとか、そんなものじゃないと思う。はじめに書いた通りであるし、ダサイ言い方かもしれないが、青春の蹉跌って、感じか。蹉跌って、どういう意味か知らないけど、そういう感じだ。