DAVID MANCUSO
神様に出会った、パーティーの神様に。人はなぜ集まり、楽しもうとするのか、デヴィッド・マンキューゾはぼくたちに教えてくれた。ディスコ、NYクラブ・シーン、ダンス、DJ、サウンド・システム全ての秘密がこのインタビューで語られる。
── リキッドルームはどうでしたか?
「とてもよかった。部屋鳴りもよかったし、スタッフがみんな一緒に働いている感じもよかった」
── お客さんは?
「お客さんもその一部だ。ぼくたちが作った延長線上にオーディエンスはいる」
── アメリカのお客さんとの違いは?
「ウーン、全て用意が整えば場所は関係ない。庭みたいなものだ、ちゃんと準備し、手入れをすれば、どんな所でもきれいな庭になる。パーティーとは与えること、与えないと何も返ってこない」
── ではヨーロッパでもパーティーが出来ますね。
「やっているよ。ロンドンに年4回、それにイタリアなど世界中でやっている。この日本のようにちゃんと環境が整なわない所ではやらない。ぼくはDJをしに行くんじゃないから、パーティーをしに行くんだ。風船がない所ではやらない(笑)。DJよりもパーティーの方が大事だ」
── もちろんNYでもやっていますよね?
「年に5回。毎週でも出来るけど、そうすると世界中に行けなくなるからね。5回にしてるんだ」
── でももうレント・パーティー(昔のNYでは家賃を払うための目的ならプライヴェート・パーティーをしてもいいという法律があった)じゃないんでしょ?
「いや今もレント・パーティーだよ。昔との違いはその会場にぼくが住んでいないというだけだ。今も利益を生まず経費だけを稼ぐ目的ならレント・パーティーは出来る」
── あなたのパーティーに対する姿勢を見ているとフラワー・ムーブメントのスピリッツが影響しているように思えるのですが。
「ぼ くがパーティーを毎週始めた1970年というのは、確かに世の中はコミューンという意識が強かった、でもぼくは思うだけど、人がいる限り、いつもコミュニ ティはあるんじゃないだろうか。そういうことよりもぼくがパーティーで一番気にかけていたことは、経済的に違う人たちをミックスさせること。そうするとい いパーティーになるんだ。お金とは奇妙なもので人々を離ればなれにさせてしてしまう。だからお金のせいで離ればなれになっている人たちをパーティーで交流 させるんだ」
── あなたのパーティーからぼくはギブ、ギブバックというメッセージを感じます。初期のパーティーで1ペンスという別に誰もいらないおつりを渡していたのもそういうメッセージの現れだったのでしょうか?
「ハッハッハッ、それはドアマンの名前がペニーだったから。ペニーが勝手に自分の名前はペニーだよって渡してだんだ(笑)」
── いいパーティーですね。なぜミックスをしなくなったのですか?
「2つの理由があるかな、ひとつはどれだけミックスがうまくなっても絶対完璧にはミックス出来ないから。2つ目はDJミキサーを通すと音が悪くなるだろ。ぼくは音のいい方を選んだ」
── ニッキー・シーアノのギャラリー、ラリー・レヴァンのパラダイス・ガラージュはあなたのロフトをお手本にしつつそれをビジネスライクにしたようなクラブだったと思いますか?
「ギャ ラリーとパラダイス・ガラージュは別々のものだ。なぜかというとギャラリーはニッキーがオーナーだったけど、パラダイス・ガラージュはラリーは音楽面をコ ントロールしていたけどオーナーじゃなかった。ビジネス面ではギャラリーはロフトに似ていたね、プライヴェート、インヴィテーションなどなど。ガラージュ はメンバーシップ・カードを作るのにお金がいったり、ガラージュはクラブだったね、ロフトはパーティーでガラージュはクラブだった。だからといって楽しめ なかったといっているんじゃないよ。二つは違うものだったと言うこと」
── ロフトのスピリッツがディスコ・シーンに影響を与えたと思いますか?
「ハッハッ、スピリッツ・イズ・ガーデン。ぼくはただいい気持ちでいたいだけだ、友達とその気持ちを分かち合いたいだけ。クラブ、ディスコ色んな名前をつけられるけど、全部同じことだよ、フレンドシップだよ」
── DJミックスのパイオニア、フランシス・グロッソとも友達だったんですよね。なぜ初期のDJはイタリア人が多かったのですか?
「あ の頃はクラブで回すDJを全部集めても25人しかいなかったんじゃないかな(笑)。だから誰もが知り合いだった。あの頃のクラブは全てマフィアの持ち物 だったのでDJにはそんな人たちの子供がなっていたんだ。今みんなはDJの歴史を知りたがっているけど、ぼくならラジオのディスクジョッキーの歴史を調べ るね、DJがどこから来て、どういう存在かという答えはそこにあると思うから。昔のラジオのディスクジョッキーの中には本当に音楽的趣味がいい人がたくさ んいてみんなにいい影響を与えていたんだよ」
── あなたが育った孤児院でのパーティーがあなたのパーティーに影響を与えているとききましたが、本当なのですか?
「そうだよ。その時の写真を見ても今と何ら変わらないよ。風船があって、レコードプレイヤーがあって、みんなが楽しそうに踊ったり歌ったりしている」
── その時のパーティーを仕切っていたシスターはロフトに来た事はないんですか?
「ハッハッ。もう彼女は凄い年寄りだからね。電話ではよく話すけど」
── では最後にリキッドルームで一番最初にかけたレコードは?
「『フォーカス』、スターン・ゲッツ。1960年のジャズ・レコードだ」
── 最後にかけた曲は?
「ウーン、『シティ・カントリー・シティ』」
── ありがとうございました。ニューヨークのロフトにも行こうと思います。そして来年もよろしくお願します。