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Quiet Village

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マッド・エドワーズとジョエル・マーティンによるサイケデリック・ダウンビートなプロジェクト、クワイエット・ヴィレッジ。今年初夏に傑作アルバ ム『Silent Movie』をリリースした彼らが、LIQUIDROOMの4周年記念イヴェントの一環として8月3日に来日ライヴを行った。短編映画のような映像と極上 の音の魔術が恵比寿の夜を包みこんでいった。

00年代中頃、アンダーグラウンド・ダンス・シーンのなかのひとつの流れとしてうごめいていたイタロ・ディスコ・リヴァイヴァルやディスコ・ダ ブ。そのさらなる深度を深めた結果として発掘され、再評価されることになった70年代末・80年代に完成されたふたつのDJスタイル──ひとつはイビザ周 辺でじょじょに形成されていったバリアリック・スタイル、そしてイタロ・ディスコの秘境、ダニエル・バルデッリのコズミック・スタイル。これらのスタイル をヒントに先鋭的なDJたちが現在の“レア・グルーヴ”として発掘の対象としたのは、ディスコやブラック・ミュージックのみならず、サイケデリック・ロッ クやプログレ、もしくはワールド・ミュージックなどなど広大に広がるジャンルであった。そしてこれらのスタイルにヒントを得た多くのDJたちは、自身の作 品としてサイケデリック・ロック的なプロジェクトを始動させていく。その突端を作ったのがDJハーヴィー率いるマップ・オブ・アフリカ(NYのDFAにも 大きな影響を及ぼすRUB’N’TUGの片割れ、トーマス・ブルロックとともにはじめたロック・バンド)。そして、彼らのレーベル・メイトとして、その話 題性にひっぱられる形で世に広がり、さらにはその高い音楽性によってシーンに頭角を現したのが、今回の主役、クワイエット・ヴィレッジと言えるだろう。
05年にマップ・オブ・アフリカのファースト・シングルとともに〈WHATEVER WE WANT〉からリリースされたシングルによっていちぶのマニアックなリスナーによって評価された彼らだが、オリジナリティとクオリティの高さ、そしてユ ニットの片割れ、マッド・エドワーズがレディオ・スレイヴやリキッド名義にて、テクノ/ハウス・シーンでヒットを飛ばしはじめたこともあり、その後、さら なる広がりのある注目を集めていく。
ちなみに、どうしても華々しいマットの活躍の影に隠れてしまいがちなその相棒、ジョエル・マーティンだが、彼の趣向もやはりクワイエット・ヴィレッジの サウンドにはなくてはならないものだろう。彼はレアなライブラリー・ミュージックのコンピ(『Bite Hard: The Music Of De Wolfe Studio Sampler 1972-80』)を名門〈BBE〉からリリースするほどの、相当なレコード堀り師としても知られている。サイケ、プログレ、ワールド、レゲエ、AOR、 ソフト・ロックなどなどさまざまな音楽のサンプルを主体に作られたクワイエット・ヴィレッジのサウンドを考えれば、ジョエルの存在感はやはり大きい。
さて、まずはこのふたりはいつ出会い、どのような経緯でこのユニットを結成したのか? ライヴを終え、やっぱり大量のレコードを買い込んだ様子の彼らに話を訊いた。

── まずは、あたたちはどうやって出会ったんですか?

ジョエル「僕らが出会ったのは……同じ学校 に通っていたんだ。マットのほうが3歳上の学年だったんだけど。僕らには共通の友だちがいたんだ。その頃、ロンドンの〈ブルーノート〉でやってたゴール ディの〈メタルヘッズ〉のパーティにその友だちと一緒に行くことになって、そこで知り合ったんだ。それから音楽の趣味がけっこう共通のものだったから話す ようになって意気投合して。たしかそれは95年とかかな。」

マット「その頃、週末の朝市のフリーマーケットなんかに出かけては、レコードなんかを漁ってたんだけど、両方ともそこに行ってることがわかったから毎週のように一緒に行くようになって行って。あるときは土曜も日曜も両方とも朝から行ってたよ。」

── どういうレコードですか?

ジョエル「チージーな変なレコードとかかな……オブスキュアなディ スコとか、映画のサウンドトラック、子ども向けのレコードとかいろいろだね。とにかく見たことのないような、変なジャケットのものはすべて買うようにして いたね。誰も知らないおもしろいものを見つけようと必死だった。30枚に1枚しか当たりがなかったりするんだけど。」

マット「とてもチープだしね。ジョエルは値切るのも上手い(笑)。」

ジョエル「たくさんのゴミ・レコードのなかからおもしろいものを探すって感じだね。いろんなバックグラ ウンドの人たちがお店を出して集まってるから、とても文化的にミックスされてておもしろいんだ。だから、そのレコードの価値を知らないおじさんやおばさん を、相手にレアな盤を安く値切って買ったりね。とにかくおもしろかったよ。ちなみにイギリスの労働者階級の家族は、週末の楽しみとして朝のフリー・マー ケットに家族みんなでよく行ったりするんだよね。」

── ふたりでクワイエット・ヴィレッジをはじめるようになるには、仲良くなってから10年後って感じだと思うけど、どうしてはじめようと思ったんですか?

ジョエル「もともとは音楽を聴いたり、映画を観たり、クラブに行ったりするような友だちとしての付き合いがあって、その後の自然な流れでクワイエット・ヴィ レッジをやろうってことになったんだ。出会った頃の95年とかは、いまのように古い音楽のリイシューみたいなものはほとんどなかった。でも、その頃から僕 らは古い音楽も好きだったからそういうものを集めたコンピとかが出せたら良いなって話をしてて。その後、僕は〈BBE〉でそういうコンピを監修したり、他 にもうまく流通しなかったコンピもあったりしたんだけど……(コンピのあれこれで、ちょっと話が脱線)。」

マット「(割って入るように)クワイエット・ヴィレッジのはじまりに関してだけど、僕らは、90年代半 ば、ミックスマスター・モリスのイレジスティブル・フォースだとかグローバル・コミニケーションだとか、当時のクオリティの高いダウンテンポやアンビエン トとかも好きだったんだ。でも、いまやチルアウトと言えば、どうでも良いコンピなんかが出て来て、とてもクオリティの低いものが蔓延しているだろ? だか ら僕らはもっと質の良いダウンテンポのチルアウト・ミュージックを作りたいと思ってクワイエット・ヴィレッジをやりはじめたんだ。あとから考えると、前に 作ったようなコンピなんかは音楽的にはクワイエット・ヴィレッジの重要な要素になったという感じだね。」

ジョエル「もともとコンピを作るために、たくさんの古い楽曲を集めて、いろいろと聴かせあっていたん だ。そのときに「ここをサンプルしたら良いんじゃないか?」みたいなアイディアがふたりのなかで自然に出て来て、マットに「作ってみたら」って。そこから はじまって、あるときその楽曲を知り合いのカルロスっていう男に聴かせたんだ。彼は〈WHATEVER WE WANT〉ってレーベルをやっていて、聴いて5秒後くらいに「うちから出させてよ」ってことになってね。それでクワイエット・ヴィレッジのファースト12 インチがリリースされたんだ。ハーヴィーがマップ・オブ・アフリカを出しているレーベルだから、まぐれで売れたのかなとも思ったんだけど、2枚目出しても 3枚目出してもしっかりと売れて、いろんな人たちから良い評価ももらえて自分たちも本腰を入れてやるようになったんだ。」

── ユニット名のクワイエット・ヴィレッジはどこから? やはりマーティン・デニー(注1)の名盤から?

ジョエル「あの曲はレス・バクスター(注2)の楽曲のカヴァーなんだけど、マーティン・デニーにしろいろいろな人がカヴァーしてるんだ。とはいえ、その曲が特 別に好きだというわけではなくて、“クワイエット・ヴィレッジ”という名前の響きが好きだったからなんだけど(笑)。あとは自分たちのやってる音楽を考え るとわりと自然体でやっていて、ユニット名があまりトレンドを気にし過ぎたものや、逆に風変わりな名前も嫌だったから。もちろん、マーティン・デニーのエ キゾチック・ミュージックも好きだから、そこに関連している名前だから丁度良いなと思って。あとはそれよりも良い名前が思いつかなかったんだ。」

── 曲作りはジョエルがネタを持って来て、マットが作るとか、そういう役割分担みたいなものはあるの?

マット「役割分担か……僕は昼ご飯作る(笑)。」

ジョエル「じゃあ、僕は朝食用にチョコレート・クロワッサンを買ってくるよ(笑)。」

── ダハハ、実際のところはどうなんでしょうか?

マット「とくに役割を分けているわけではないけど、長年の付き合いでどちらがなにをしたら相手が納得するのかわかるからそれをやっているという感じかな。僕らはいままで「こうしたほうが良い」とか「もっとここを削れ!」とかで口論をしたことがないんだ。」

ジョエル「音楽以外のことはもめることもあるけどね(笑)。でも、音楽の感覚に関してはものすごくお互い信用しているからね。」

── 昨日のライヴでは短編映画のような映像を上映しながらという感じでしたが、映像との融合というのは曲を作る上で重要なサブジェクトになっているの?

ジョエル「(質問を翻訳する前に)ノーだ(笑)。日本語はあまりわからないけどたぶんその質問は。それは冗談で、えっと質問は?」

(通訳さんが翻訳すると)

ジョエル「やっぱりその質問の答えはノーだったね(笑)。やっぱり わかってたでしょ! もともと映画がすごい好きで、サントラも好きだし、もちろん映像的な感覚で楽曲を作ってるんだけど、そこまで映像が音源を作るときか ら直結しているというわけではないんだ。でも、ヴィジュアル・イメージというのはものすごく自分たちにとって重要なものだよ。だからライヴのときにはヴィ ジュアルにも重きを置いてやってる。それはなぜかというと、音楽の良さを映像で引き出すこともできるし、映像のおもしろさも音楽で引き出されることもある からね。クラブ系のアーティストのライヴでは、映像との結びつきを重要視している人もいるけど、基本的には視覚的な刺激でしかないものが多くて、とくに映 像に意味があるものが少ない。だから逆に僕らはコメディ、ホラーやサイケデリックな要素とか、もっと映画的な、意味のある映像を取り入れてライヴを作って いけたらとか思っているんだ。」

マット「あとはポルノもだろ?」

ジョエル「あれは裸の女性がちょっと出てるだけ(笑)。クワイエット・ヴィレッジの音楽というのはムードとか雰囲気というものをものすごく大事にする音楽だから、それを映像との相互作用で作りだせればと思ってやっているんだ。」

── 映像はジョエルが作ってるの?

ジョエル「僕の友だちでラヴリー・ジョンっていう人がいるんだ けど、彼が作ってる。彼はどういう人かと言うと、15年間「JIGOKU(地獄)」というイヴェントをUKでやってるんだ(注3)。マニアックな映画をエ デットして、それを映像として流しながら自分でDJやるイヴェントなんだけど、毎回60分のビデオを作って、テクノとかヒップホップ……つまりは勝手にサ ウンドトラックをDJで作って聴かせるというのをやってるんだ。メキシカン・ホラーとか、日本のヤクザ映画、カンフーものとか変な映画をソースにしてやっ てるね。とにかく変すぎるので15年間、毎回20人くらいしかお客さんが来てないね(笑)。しかも彼はいまだにVHSで編集しているんだ。すごいいい人で おもしろいくて、もったないからクワイエット・ヴィレッジでライヴをやるってなったときに彼に頼んで映像を作ってもらったんだ。イギリスではなかなか評価 されないから誰かラヴリー・ジョンを日本で呼んでよ! とにかく日本の映画に詳しくて、ヤクザ映画に関してはかなりの数を観てると思うよ。役者の名前まで 詳しい(笑)。」

── そう言えば、映像的なあなたたちのサウンドでアルバムが『Silent Movie』というのもおもしろいと思ったんですけど。

マット「とくにすごい深い意味はないんだけど。アルバム・タイトルをつけるのは難しいからね。いろいろ候補をあげたなかで僕が決めたんだ。なんか映画のカタロ グとかを見て、いろいろ考えたんだけど。アルバムの内容が、実在しない架空の映画のサウンド・トラックっていうイメージで作ったっていうのもあってね。ク ワイエット・ヴィレッジっていうユニット名だから静かなイメージのタイトルが良いかなと。あとはそれに加えて、タイトルが決まってからの後付けの意味なん だけど、かつての無声映画の時代はセリフがなくとも音楽を映画館で流していて、無声映画には映画が絶対に必要だろ? だからこのタイトルでちょうど良かっ たと思うよ。」

── アルバムをリリースした後のプランはなにかありますか?

マット「この夏は、これを出したばっ かりなのでライヴをやったりとかプロモーション活動が主になってくるんだけど、時間が出来次第、次のアルバムに向けて曲作りなんかもやっていこうと思って るよ。将来的にはいろいろ考えていて、実際の映画のスコアを書くような機会があったらぜひにもやってみたいね。あとは自分たちがショート・フィルムを作っ て、それに音楽を付けたりもしたいね。」

ジョエル「僕はもともと映像の制作なんかにも関わってた人間なんだけど、いまや映像もデジタル化が進ん で、それなりのものがすごく安く、簡単に作れるようになって、ポスト・プロダクションによってあたかもヴィンテージ・フィルムのような効果だって出せるか らね。だから僕らがそういった映像を作る可能性も大いにあるね。あとは制作に費やせる時間があればと思うんだけどなかなかできないのが実情なんだ。それに 加えてマットが最近ベルリンに移住したから、このアルバムのサウンドを作ったときにいつでも会えるような状況ではなくなったから、クワイエット・ヴィレッ ジとしての時間をしっかりと確保するのが今後の課題かな。生演奏なんかも取り入れてもおもしろいとも思うけど、いまのところはいまみたいなサンプリングに こだわって作品を作る方法でしばらくはやりたいな。次作はもっとコンセプチャルで、もっと違ったものになると思うよ。良い意味でリスナーを裏切れる、新鮮 なものを絶えずやっていけたらと思ってるよ。」

注1:レス・バクスター(1922生・96没):50年代・60年代にかけて、イージーリスニングや映画音楽、ムード音楽を手がけたアーティスト。後述のマーティン・デニーとともにエキゾチック・サウンドの大家として知られる。

注2:マーティン・デニー(1911生・2005没):世界各国のさまざまな民族音楽などの要素を取り入れた独自の“エキゾティック・サウンド”で 人気を集める。文中に出てくるアルバム『Quiet Village』は1959年の作品。ちなみにYMOの“ファイヤー・クラッカー”は彼の楽曲のカヴァー。

注3:興味のあるひとは彼のマイスペースを→ http://www.myspace.com/jigokuost

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