曽我部恵一
- Exotica(1958年)
- MARTIN DENNY
曽我部マーティン・デニーはすごい影響受けてると思うんですけど……なんですかねぇ(笑)。鳥の鳴き声とかを人の声でやったりしてて。アンビエントの元祖というか。「なぜ音楽に鳥の鳴き声が入ってこなければいけないのか」というのが結構重要だと思ってて。リスニング・ルームなり、ライヴ会場とかクラブで、南国の熱帯雨林にいるかのような疑似体験を求めるという音楽。なんか変な魅力がありましたね。もちろんいろんな音楽を聴き出した後に知ったんですけど。これで50年代でしょ? KLF『Chill Out』の30年以上とか前でしょ? ものすごいぶっ飛んだことだと思うんですよ。
── 感情とも違う、空気感みたいなものを音楽で表現するっていう発想ですよね。
曽我部そう。あと音数も少なくて、ミニマルまでいかないんだけど、ミニマル的だったり、チル・アウト的だったりする音楽がこの時代の人たちになんで必要だったのか気になるんですよ。すごい好きです。
- Kissing To Be Clever(1982年)
- CULTURE CLUB
曽我部これはリアルタイム。「ベストヒットUSA」を観て、まず好きになったバンド。先輩に録音してもらったカセット・テープをずっと聴いてましたね。めっちゃ好きだった! 『音楽専科』とかも読んでたし。
── 洋楽を聴きはじめたきっかけというか、いわば青春の音ですね。
曽我部そう、きっかけ。青春だね。ボーイ・ジョージのあの甘いヴォーカルが最高っすね。いまだに好きっすね。
── ソウルとかレゲエとか、実はいろんな音楽性が詰まってるバンドだったりしますよね。
曽我部12インチの後半でダブ・ヴァージョンやったり。モータウンだったりもするしね。ワム!が当時、カルチャー・クラブがやってたことをよりマスな感じで展開してたんだけど、そっちは俺ピンとこなかったなぁ。ここで挙げたのはファーストですけど、俺が完全にリアルタイムでハマったのはセカンドの『Colour By Numbers』かな。ここにつながっていくのはやっぱりザ・クラッシュかな。(セックス)ピストルズも好きで、いちばんガツンと来たのはピストルズなんですよ。聴いたのはもちろん後追いで中1とか中2、84年ぐらいかな。先輩がカセットを貸してくれたんだか、コピーしてくれて。腰抜かすぐらいかっこいいと思ったんですよ。白っぽいソニーのハイポジションのテープだった気がする(笑)。結局はあれ以上に衝撃受けた音楽はないかも。なにがすごいって、音楽は「がんばろうぜ」とか「ハッピー」とか、ポジティヴな方向になにか救われるために聴く音楽が多いと思うんだけど、ピストルズは嫌がらせっていうか嫌な笑い声というか。全世界を馬鹿にしたような嫌な音楽で、でもそれがエネルギーになって半端無いなと思って。まさに中学生の自分が求めてたものなんですよね。ピストルズを聴いてなかったら、ここまでのめり込むほど音楽=自分になってなかったかも。中学生とかって、世の中全体に対してファックっていう感じじゃない? そのときザ・クラッシュは「明日に向かって」みたいな部分があって、すごくダサイなと思ってたんですよ。でも聴くと良くて。だからコッソリ聴いてた(笑)。この頃にブルーハーツとか出て来て「人にやさしく」も買ってたんだけど、ザ・クラッシュと同じ様な微妙な気持ちで聴いてましたね。あまり人に言えないというか。
── 中学生の思い込みというか(笑)。
曽我部後から聴いても両方良いんだけど。
── でも、ピストルズやザ・クラッシュもカルチャー・クラブが無ければ、そこまでたどり着けなかった部分はあると。
曽我部そうっすね。
- コミック雑誌なんかいらない(DVD/1986年)
- 内田裕也(監督/主演)
曽我部最近好きなのが内田裕也さんで。
── オッ! 裕也さんきてますか。
曽我部裕也さんのあり方は無茶苦茶好きですね。俺ね、リアルタイムで裕也さんに衝撃を受けたのは映画『コミック雑誌なんかいらない』なんですよ。とにかく、あのロス疑惑の三浦和義さんにお茶をかけられるシーンが衝撃的で。あの映画ってなんなのかわからなくて(笑)。内田裕也さんはもちろん知ってたんだけど、映画なのか、なんなのかわからなくて。少し前に、九州の映画館で自分の好きな映画を上映して良いっていうイヴェントがあって、その時に『コミック雑誌』を上映してもらったんですよ。ひさしぶりにスクリーンで見たのね。でも、いまだになんだかわからない(笑)。普通の人がマスコミとか権力にアンチを唱えるのと、どう考えても角度が違うんですよ。普通だったら相対するアンチなものの構造が見えるんだけど、裕也さんがやるとわからなくなる(笑)。でも観た後は、ただ裕也さんていうものが残るだけで。
── あの存在感はすごいですよね。
曽我部一筋縄ではいかな過ぎるメッセージ性とか「結局言いたかったのはなんだったんだっけ?」っていうね。でも音楽はつまらないんですよ。でも聴かせてしまう存在感があるというか。よくわからない人ですよね。謎なんだけど、とにかくすごいですよね。求心力とか。やっぱり『コミック雑誌』が好きかなぁ。
── 最近、DVDが廉価版で出ましたしね。
曽我部出たんだ! キナメリ。買おう!
── 出ましたね。
曽我部キッズはあれと『ゆきゆきて神軍』を2本立てで観るべきだね。確実に人生狂うと思う、翌日から人間が変わると思う(笑)。僕もライヴで“コミック雑誌なんかいらない”カヴァーしたこともありますよ。でも、アレもパンタさんの曲なんだよね(笑)。
── ほぼ裕也さんの曲になってますけどね。直接お会いしたことはないんですか?
曽我部ないよ。会ったことあったら大変だよ(笑)。
── オノ・ヨーコさんのジョン・レノン音楽祭とかでは?
曽我部そうだ、いらっしゃいましたね。そういう意味ではちょろっとはお会いしてますね。すごい格好良かったですよ。リハーサルやってるときに急に演説みたいなのはじめちゃって。「内田裕也です!」って、自分とヨーコさんとの関係性をしゃべりはじめて。出演者とかみんなキョトンとしてたら「そんなわけでみんなよろしく! リハやろう!」って。「なんなんだろう?」と思って(笑)。
── 良い話ですね(笑)。
曽我部これは出たときにインパクトあった。グラウンド・ビートのこのビート感ってそれまでなかったですからねぇ。プロデューサーのネリー・フーパーと重要なのはドラムの(屋敷)豪太さんだと思う。
── 80年代の終わりとか90年前後はダンス・ミュージックを聴いてたってことですか?
曽我部この辺りからだったと思う。それまではパンクやロックだったから。それまでクラブ・ミュージックというと、M/A/R/SとかUKのアシッド・ハウスみたいなのが入ってきてたけど、ちょっと田舎の高校生にはおもしろかったんだけどイルな感じに聴こえて。これは、なんかソウルっぽかったから良かったのかも。でも自分が好きで聴いてたアレサ・フランクリンみたいな歌ものと違うからすごい新鮮だった。ある意味でニューウェイヴ的だったけど、ソウル的でもあったし。で、この頃からいわゆるマンチェスター系とかもそうだけど、グラウンド・ビートとかヒップホップのリズムを取り入れて、BPMを上げて、上はギター、みたいなのが山のように出てきてて。そういうのをすごい聴いてた。これに近い感じだとストーン・ローゼスかな。彼らもドラムがブレイクビーツなんですよね。“Fool’s Gold”とかもろですけど。メロディは奇麗で、ロック・バンドなんだけど、ループさせちゃうのが普通になって。ソウルIIソウルは音数の少なさにやられたっていうのはあるかな。
── この辺の音ではじめの衝撃度とか代表的なところを言うとこのソウル II ソウルになると。
曽我部あとはノーマン(クック)のやってたビーツ・インターナショナルのファースト(『Let Them Eat Bingo』)かな。ビーツ・インターナショナルはもっとポップな感じというか。あとヒップホップも、デ・ラ・ソウルとかよく聴いてた。それより前のランDMCもリアルタイムではあったんですけど、僕はハマらなかったんですよ。ソウル II ソウルとかアメリカだとデ・ラ・ソウルとかATCQのありかたのほうが好きだったから。そこでサンプリングとかヒップホップに興味を持っていったというか。デ・ラ・ソウルはビートルズみたいな感覚で聴いてた。いま聴くとランDMCとかオールドスクールのひとたちもかっこいいんだけど。
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