LUNKHEAD
なぜ出会ってしまったのだろう? ヤツらとの出会いによって人生狂い咲き!?
そんな“ニクイ”やつらをご紹介。
今回は5月12日にリキッドルームにてワンマン・ライヴを行う、LUNKHEADが登場。先頃、ニュー・アルバムを『青に染まる白』をリリースし、日本を縦断、そしてそのツアー・ファイナルでは、ある意味恒例となったワンマンをリキッドルームで行う彼ら。
今回はメンバー全員、小高芳太朗(ヴォーカル&ギター)、山下壮(ギター)、合田悟(ベース)、桜井雄一(ドラマー)の4人を招いて、LUNKHEADに影響を与えた10枚を紹介! それぞれのメンバーに2枚づつ、そして最後の2枚はバンド全体の2枚ということで選んでいただきました。彼らのサウンドを生み出した10枚とは? そんな“ニクイ”人生を狂わせたやつらをご紹介。
小高これは(山下)壮が教えてくれて。大学に入って上京したときに、カセット・テープで貰って。ピンクの蛍光ペンでカタカナで書いてあって。
山下そのテープも俺も友だちにもらって。
── へ、誰も買ってない(笑)。
小高その後2枚ぐらい買い直してるんですけど、はじめはそのテープでカセット・テレコで聴いてましたよ。このどインディの音の感じも良くて、こっちはこっちでミッシェルとは別の衝撃があって……歌がうまくない、歌がちっちゃい。
── でもかっこいいっていう。
小高そう、こんな歌が聴こえなくて良いんだみたいな。ギターのチューニングがあってなかったり、リズムも早くなったり、遅くなったり。でも、本当にかっけーとしか思えない音で。
── 自由さを知ったみたいなところですかね、このあたりは、もうLUNKHEADを?
小高高校のときに卒業ライヴで1回やって、俺と元ドラムの龍だけ上京して、で、他のふたり(合田、山下)が1年後に上京してきてっていうブランクがあって。ブランクっていうほど、その前に活動もしてなかったんだけど。東京でちゃんと活動をはじめた頃だね。ミッシェルしかり、楽器の音っていうのが衝撃だったというか。曲のアレンジを生かすというよりも、個々の楽器の主張がこんだけあるっていう音楽にはじめて触れたっていう。それに触れたのがミッシェルで、さらに深く知ったのがナンバー・ガールという感じでした。相当影響受けてますね。
山下これはバンドというよりも、もっと個人的なやつで、初期のザ・ブームのベスト・アルバム。入っているのは時代的には“島唄”までという感じで、このひとつ前のオリジナル・アルバムに“島唄”が入ってたんですけど、たしか、そのアルバムよりもちょっとあとに“島唄”が話題になってヒットして。
小高中1のときだったねぇ。
山下ねぇちゃんがザ・ブームが好きで、それで耳に入ってたんだけど。その後、ブレイクして、紅白に出るみたいな規模になっちゃって。当時、歌手になりたいと思ってたんですよ……。
小高でも最初は音楽やるって思ったら、みんなそう思うでしょ、歌手というかヴォーカルというか。
── まず、まずは演奏とかよりも、音楽に対する理解というか子供心に入ってくるのはそこですよね。
山下それで楽器をはじめようと思って、ピアノをやろうと思ったんですけど、まったく楽譜が読めなくて……小学校の6年間音楽の授業なんて聴いてなくて(笑)。授業で流れるクラシックとか聴くだけなら好きなんですけど。さっぱりできないなってなって、フォーク・ギターを買ったんですけど、それがギターをはじめたきっかけだったんですよ。
── じゃあ、音楽をやる側のきっかけになったのがまさにザ・ブームだと。
山下そう、まさしく人生を狂わされたというか。
合田そういえばギターの方が昔、リキッドルームのライヴに来てくれたんだよね。
山下そうそう。つい最近、20周年を迎えられたんですけど、ザ・ブームが15周年のライヴのときに、俺ら良くしてもらってるライターさんに連れて行ってもらって。直接挨拶させてもらって。その後、ツアーのファイナルのリキッドルームで小林さん(ザ・ブームのギタリスト)がいらっしゃってくれてて。ただ演奏中は知らなくて。しかも、よりによって、自分の誕生日が近かったんですけど、「お前歌えよ」みたいになって……1曲歌ったんですけど、しかもザ・ブームの曲を……。
小高終わったあとおもしろかったよね! 通路で演奏後に「ザ・ブームの小林さんきてたみたい」って聞いたときの壮の「ノー!!!!!!!」って悲鳴とともに膝から崩れ落ちる姿(笑)。
山下そうそう。つい最近、20周年を迎えられたんですけど、ザ・ブームが15周年のライヴのときに、俺ら良くしてもらってるライターさんに連れて行ってもらって。直接挨拶させてもらって。その後、ツアーのファイナルのリキッドルームで小林さん(ザ・ブームのギタリスト)がいらっしゃってくれてて。ただ演奏中は知らなくて。しかも、よりによって、自分の誕生日が近かったんですけど、「お前歌えよ」みたいになって……1曲歌ったんですけど、しかもザ・ブームの曲を……。
小高終わったあとおもしろかったよね! 通路で演奏後に「ザ・ブームの小林さんきてたみたい」って聞いたときの壮の「ノー!!!!!!!」って悲鳴とともに膝から崩れ落ちる姿(笑)。
── モノマネ番組の「うしろからご本人登場」パターンですね(笑)。
山下まさに。でも最近、ベースの山川さんともツイッターで繋がって。
── 着実に憧れの存在に近づいてると。
小高宮沢さんからは毎年イヤープレートくるんでしょ?
山下そうそう。魚の絵とか書いてある。いまだにザ・ブームはよく聴いてますね。
小高まずはミッシェルですね。学校にロック好きなヤツがいて、そいつ自身はバンドとかやってなかったんだけど、リスナーで。そいつがミッシェルをすごいかっこいいって教えてくれて。バンドやってるやつらと一緒に聴いて「なんじゃこりゃ」ってなりましたね。まだミッシェルが大きくブレイクする前で。これと2枚目の『Hi Times』が出てたときかな。ミスチルとかイエモン、ラルクとかのコピー・バンドやってたんですけど、ミッシェルを聴いたら、別のバンドですけど、すぐにミッシェルのコピーをはじめましたね。すごい思い出深いですね。
── どこの部分が、そこまで衝撃でした?
小高全部ですね。なにもかも自分がいままで聴いていた音楽と違ってて。存在自体が衝撃的で。圧倒的に音数が少なくて。ミスチルとかスピッツとかそれまでに聴いていたものと比べるとまったく違うというか。スーツの着こなしも「こんなに格好良く着こなすんだな」と思って。僕らはブレイクする前から文化祭でやってたんですけど、その頃はまだ客はシーンとなってて(笑)。売れた途端にすごかったよね。
山下すごかった。
小高地元の愛媛県の新居浜には、毎週夏になると土曜夜市っていうお祭りが商店街であるんですよ。そこで路上ライヴするんですけど。“The Birdmen”でミッシェルがブレイクした後。その路上ライヴで、通販で買ったみたいなペラペラの衣装来て、ヴィジュアル系のコピーやってた子たちが、最後に「じゃあ、本当のロックを聴いて下さい、“The Birdmen”」って演奏して、「お前が言うな」ですよ(笑)。
山下最後だけ(笑)。
小高俺らのほうが絶対好きだわって思ってましたよ(笑)。
── 小高さんにとっては、本格的にバンドにのめり込むきっかけという感じですかね?
小高そう、そういう起点になった1枚ですね。いろいろ概念が変わりましたね。