高木正勝
高木正勝の今
デビュー作を作るときと一緒で、自由自在にやれる感覚、
僕はこれがいいと思うという素直な感覚に戻った気がします。
── World Is So Beautifulがすごく好きなのですが、その時から作風が少し変わった気がするのですが。
高木だいたい2年おきに、作風が変わっていっているので。
── その都度、変わるきっかけがあるのですか?
高木2年くらいで飽きません?なにか、別の展開が見えるというか、ちょっと違うことをしてみたくなるというタイミングが2年、長くて4年です。
── 外から影響を受けるというよりも、ご自身の中に何かきっかけがでてくるという感じなのですね。
高木外から影響を受けることもあるけれど、(飽きる時というのは)やりきってしまった感じがあって、「次、もう一回」と言われると分からなくなるから、自らストップしたり、そのタイミングで別の話がきたりすることが多いです。周りの人も同じく思うのか、だいたい2年で同じような仕事が無くなったりします。今は忙しいので、春あたりに仕事の依頼がパタッと来なくなるんじゃないかと思っています。今の流れの仕事という意味で(笑)
── では、また新しい流れの仕事が来るようになるということですね。
高木はい。そう思います。
── 面白いですね。
高木でも、そういうものじゃないですかね。映画監督の宮崎駿さんとかも4年おきくらいに映画の新作を作られているけど、やっぱり4年くらいかと。
── モチベーションとか・・・。
高木続けてやっていると、分かった気になってしまうんですね。分かった気になって作業するのって、あんまり好きではなくて。分かるまでが楽しいから。だから辞めるのかもしれないですよね。今回のCDは、ここ2年くらいの集大成になっていて、作業が終わったいまは言葉でも感覚的にも、とてもよく分かっているから、その上で何か形にするというのは、嘘くさくるんです。分かっていないほうに行きたくなっています。
── 分かっていないところから、もう一度探していくということですか。
高木探す方が楽しくないですか?分かっていることを確かめるより。
── もちろんそうですね。
高木というか、探している時じゃないと出てこないかもしれない。分かっていることは、確認作業になってしまって。
── 京都という場所には、飽きはこないのですか?
高木飽きもするし、愛着もあるし、行ったり来たりかなぁ。でも、いざ何処かに引っ越しするとなると面倒くさいのもありつつ。沖縄のような全く違う環境とか、なにかきっかけがあれば住んでみたいですけれど。
── でも、その間に沢山旅もされているので、そこにずっといらっしゃるという訳ではないので、どこかに行かれては、戻られるベースになっているという感覚なのでしょうかね。
高木京都は好きですけれど。難しいですね。仕事のほぼ100%が東京です。今日も、京都から来ましたけれど、京都より離れたところに住んだとしたら、(仕事で東京に来るのも)少し億劫になりますし、呼んでくれる方(依頼主)も呼びにくくなるのかなと思っています。だから、今日は、家から4時間掛かって来ているけれど、これが5時間、6時間となるとちょっと疲れるかなと思います。休憩場所を一か所挟みたくなる感じ。そういう意味でも、いまは丁度いいと感じてます。これ以上離れると何かが変わってくると思います。
── 体力的にきついですよね。
高木体力的もあるけど、気分の方が大きいです。京都から東京は遠くないと思っていますから。新幹線もあるし。移動したいけど、なかなかね。家は探してはいるんです、常に。好きなんです、家探し。
── 旅先の選び方というのは、何かありますか?
高木時期によりますが。撮影したいというのがまず中心にあって。いいのが撮れるというよりも、自分が撮りやすそうなところを選びたくなります。例えばツアーとかで、アメリカやヨーロッパに行った時、ほぼ撮影できなかったんですね。日本の都会と一緒で、渋谷のスクランブル交差点とかを撮影している人がいるけど、ああいう場所くらいしか撮れなくて。カメラを出すのに一目が気になりますし、自分も撮りたいという気持ちが働かない。人や子どもを撮りたいと思っても、それ自体が基本的にダメですし。公園もすべてフェンスで囲まれていたりして入れなかったり。なにより気持ちが解放されないから難しいです。去年行ったのは、インド。最近は織物や刺繍など文化的な何かがそこに残ってるからという理由で行きたくなったり。今は暮らし方とかを味わいたくて。
── 最初に旅行に行った場所がベトナムだったというインタビューを読みまして、最初からアジアなイメージがあって、作風もアジアが好きだからチョイスをしているのかなと思ったんですけど、必ずしもそうではないのですか?
高木地域というより、ほんとうに興味があるのは、人なんです。人が昔から変わらず、ずっと持ち続けている感覚に触れたいだけかもしれません。そういう意味では昔から変わってないと思います。ベトナムに行った時は、自分が子供の時に味わったけれど今は無いような景色や感覚がたくさん残っていて、タイムスリップしたようで面白かった。最近は、家の周りでそういう場所や人と出逢えるようになって、外国に行く回数は減りました。
── 高木さんの作品をずっと聞いてきて、『タイ・レイ・タイ・リオ』や舞台『曼荼羅の宇宙』キーワードとして「神秘」とか民族系のものを多用されているイメージがあって、着ている洋服の感じもそうだと思ったんですが。
高木民族って言われるとピンと来ないものがありますが。例えば、日本でおばあちゃんがモンペを穿いていたりするでしょ、あの続きが見たいな、自分も穿きたいなと思うんです。そういうのってあまり無いじゃないですか。服もそうですけれど、続きを見たいなという想いが強いんですね。昔、三味線がたくさん普及していたのに、明治くらいから西洋のピアノとかが入ってきて弾きだしたじゃないですか。もし、近代化の流れがなかったら、どういう世界だったんだろうと考えるんですね。キテレツ大百科ってあったでしょ、例えばiPhoneのような最先端のようなものを、木の工作でつくるじゃないですか。機能は現代的でも、形や感覚はその土地に根付いてきたものの続きで。そうやって続きをやってたら、ビルが立ち並んでいる街並みも、日本家屋やお城を作る感覚でビルを建てていたとしたら、きっとすごい景観じゃないですか。そういう空想をするのが昔から好きで。多くの男性は背広を着ているけれど、そうではなくて、袴の延長だったら、でも外の世界には背広があるというのはきちんと知りながら変えていっていたとしたら、どんな姿形になっていたんだろうっていう。そういう目で通りを見渡したら面白いんです。もしかしたら顔と服装が合っていないんじゃないかっていう疑問が湧いてくる(笑)もし着物の続きの服をみんなが着ていたら、という目で見たら、なんでみんな「洋服」を着ているんだろうって、そっちの方が不思議に思えてくるんです。好みの話ですけれど、僕は服を選ぶときは、自分の身幅に合っているかとか、首とのバランスとか、足が細いのでバランスをとりたいなとか、着心地とか素材とか、みなさんそうでしょうけれど、自然にこうなったんですね。男物も女物も無頓着にみているんですけど、「民族っぽい」って言われると、よくわからないです。音楽や映像も同じ感覚で接してます。民族系ってくくってしまうと「西洋か西洋じゃないか」になってしまって、それは勿体ないんです。西洋というと、それだけ特別に「普通」みたいですが、彼らも民族ですから。民族的な要素を取り入れたいから、楽器を入れるという事は無くて、音として「豊かさが欲しい」というときに、実は世の中にはいっぱい選択肢があって、いろんな音色を選んでいくと「あ、これだな」となる。すごい選択肢があると思う。
── 確かに、日本人って文化を断ち切っちゃうってところがありますよね。刺繍にしても、アジアだと生活の中に残っているのに、日本だと額の中に入れてしまうところが面白いですよね。