downy 9年振りの電撃復活作をリリース! 青木ロビンが語るdownyと過去と現在
エレクトロニクスとバンド・サウンドーー現在では当然のように交わるようになった両者だが、downyは国内シーンにおいてその先駆けとなった存在だ。2000年の結成以降、エレクトロ・ミュージックの方法論を生演奏に取り入れ、極限まで洗練させることで静謐な電子音楽のような均整を保った独自のサウンドを生みだし、映像と一体化させたパフォーマンスを行うなど常に時代の一歩先を走り続けたが、2004年に活動を休止。その後9年間沈黙を守っていた彼らが遂に再始動を果たし、通算5枚目のアルバム第五作品集『無題』をリリースする。ということで、同じく今年で9周年を迎えるリキッドルームにバンドのボーカル&ギターを務める青木ロビンを招き、downyの過去と現在、さらには音楽表現の原点までじっくりと語ってもらった。
バンドが打ち込みを越える演奏をする、それがdownyの軸
── downyが活動を休止したのが2004年でした。(青木)ロビンさんは今、沖縄に住んでいるですよね?
青木ええ、downyを休止後は衣食住に関わる仕事がやりたかったんです。最初は移住先を福岡か沖縄で迷いましたが、子供の頃沖縄に住んでいたこともあったので沖縄に決めました。
── この9年間はどうでしたか?
青木のんびりしたり忙しくしたり、まぁいろいろでしたね。
── では音楽からはまったく離れていた?
青木ええ、娘にピアノを教えたりはしましたけど、ギターは壁に飾ってあるだけでした。僕自身、長い間音楽から離れることで、好きなときに好きな音楽を聴けるひとりのリスナーに戻れましたよ。
── そこからどうやってdownyが再始動していったのでしょう?
青木もともと“活動休止”にしていたので、いつかはやらなきゃなって思っていたんです。とは言え、他のメンバーはミュージシャン活動を続けていて忙しそうだったから、なかなかタイミングが合わなくて。ちょうど3年前くらいからまた音楽を作りたくなって、パソコンを使って断片的に音を作るようになって、メンバーと連絡を取ってそろそろやろうかということになりました。
── その頃に何かきっかけがあったんですか?
青木カフェの周年記念ライブは、いつもレイ・ハラカミさんに演奏してもらっていたんですよ。そのときに“僕もアルバムを作るからdownyも作るって約束しよう”と言われて、ウチでのライブを最期に亡くなられたんです。それから約束したからには、やらなきゃダメだって思うようになりました。ハラカミさんの音楽はストイックだけどはすごくおおらか人で。downyは両方ともストイックだったから一度ボロボロになってしまったのかなって考えたりもしました。
── メンバーと連絡を取ったあとは、どんな風に進んでいったんですか?
青木3年前くらいに連絡してから一年が経って、ようやく曲を作り始めて。ただ……downyって本当に面倒くさいバンドなんですよ(笑)
── (笑)と、言うと?
青木僕たちは極限まで音を作り込んでいくので制作も大変だし、作ったもの演奏するのも大変なので、メンバー全員のスイッチが入らないとできない。だから、始めるにあたってメンバー全員の心のリハビリが必要でしたね。
── 当時はどんなことが大変だったのですか?
青木downyはいろいろと決めごとが多いんですよ。ドラムは4点(バスドラ、ハイハット、スネア、ライド・シンバル)だけ、ギターっぽい音は出さない、ベースはエフェクターを使わない、歌は感情や抑揚を出さないっていう。そういった制約がある中でどんな表現ができるのかを模索していました。そこはヒップホップやエレクトロニカの方法論を踏まえながらも、バンドが打ち込みを越える演奏をする。それがdownyの軸でした。
── downyがそういう音楽を指向したのには、どんな経緯があったんですか?
青木最初の頃は叙情的でゴリゴリのハードコア・バンドでしたが、あるとき、ただひずませるだけで音の壁を作るようなやり方が嫌になったんですよね。そうすれば誰でもロックはできるし、シンバルをたたけばラウドになるけど、それではつまらない。それに僕らは映像もありきだったので、そのシチュエーションで訴えかける音楽となると、自ずとゴリゴリした部分が削られていきました。当時の僕らは実験的なことをやっていたし、それが骨太なものになる確信があった。時代的にもロックバンドがヒップホップやエレクトロニカを聴くようになっていたし、僕らはそれに手を付けるのがちょっと早かっただけだと思いますね。あと、僕としては当時の思い出は微笑ましい記憶しか無いのですが、メンバーに言わせると昔の僕は厳しかったみたいで(笑)。
── そうなんですか、スパルタだったとか?
青木いや、ストイックでしたね。リハーサルも毎日8時間くらいはやっていましたよ。
── それで一気に4年間突っ走ったわけですね?
青木そう、ボロボロになって、そろそろ一度休もうかって。その点、今では歳も取って考え方も緩くなったのでやりやすくなったと思います。もちろん音は緩くないですよ。
新作は実際には“7枚目のアルバム”と言いたい
── 再始動後の最新作、第五作品集『無題』の制作はどんな感じで進んでいったんですか?
青木僕が最初に作り上げたデモは一回完全に無しになって、次にスタジオ集まって全員で作ったものも“もっと出来るんじゃないか”ということでダメ。ここまでにアルバム2枚分くらいをボツにしたので、僕って今作は過去作4枚に続く“7枚目のアルバム”って言いたいくらいですね(笑)。
── これまでdownyは完成度の高い作品をリリースしていたので、ブランクがあればそれ相応の時間はかかりますよね。
青木これまでに4枚のアルバムを出しているし、メンバーもミュージシャンとしての経験を積んできたから、前よりも絶対に良いモノを作るというプレッシャーはありましたね。あとは、何よりも僕らのことを待っててくれる人がいたっていうのが今作を作れた大きな理由でした。レーベルもデモのカケラも無いときからリリースを快諾して待ってくれたし。
── ギターを久々に弾いたときの感触はどうでしたか?
青木もっと弾けなくなってるかなって心配していたんですけど、意外と大丈夫でした。ただ、ギターを弾くための筋肉が衰えていたので、今はちょうど訓練しているところです。
── メンバー全員でスタジオに入ってみたときはどんな印象でしたか?
青木タイムスリップしたみたいでしたよ。長年みんな個々で違う音楽をやっているのにも関わらず、みんなでスタジオに入ったらやっぱりdownyっぽいコードやリズムになるから不思議な感覚でした。“ああ、downyってこんな感じだった”っていう。
── そんな感触だったのにも関わらず、2回目のアルバム制作も白紙に戻ったんですね。最終的にはどんな風にして作っていったのですか?
青木基本的に僕は沖縄にいるので、打ち込んで作ったラフにドラムを入れ直してもらったり、逆に3人で作ったものに僕が何かを足したり、全員でアイディアや意見を出し合いながらデータをやりとりしていきました。面白かったのは僕よりも他のメンバーの方が“downyのイメージ像”を強く持っていたことですね。僕は全部4つ打ちの変拍子でもいいなって思ったけど、ほかのメンバーはもっとこうあるべきだっていう意見を持っていて。そのおかげでdownyのイメージを再確認できました。
── downyの作曲は、ロビンさんの打ち込みが原案になることが多いのですか?
青木場合によってはギターのフレーズのときもあるし、打ち込む場合はザックリとしたイメージを作っています。ドラムの秋山君は僕が打ち込んだリズムを、生のドラムで完全に再現する以上のアイディアを出してくるんですよ。裕さんはシンセを超えたギターを弾きますし、仲俣はベースだけでなくピアノのアイデアを持ってきたりもします。そうやってデモを全員で演奏しながらdownyらしさを構築していくのが僕らのやり方です。ただ、僕が好きな音楽はエレクトロやヒップホップが多いので、打ち込んだ音にはそういう要素が強いです。ちなみに今回の新作までの過程を音楽性で表すと、一回目に僕が作ったのは打ち込みっぽい音で、スタジオで作ったのはプログレっぽくて、それらを経て最終的にメロディックな世界観というところで落ち着きました。
自分たちをギャフンと言わせたかった
── メロディックな方向性を指向したのはどうして?
青木過去に作った楽曲を越える一心でやったら自然とそうなりました。あくまで僕らの解釈としての歌モノですが、これまでやったことない方向性というか。さっきも言った決め毎や線引きを取っ払いつつ、より面白い手法や方法を模索しました。
── 9年前と今では制作の進め方などは変わりましたか?
青木録音する機材は変わったけど、やっていることは一緒ですね。最初にドラムを録って、仮だったウワ音を録り直す段階で曲の構成を決めていく流れです。最初は1つのトラックを作ることに執着して、そこから差し引きしてカッコイイかどうかを判別しますが、できるだけ足し算をしないでできる楽曲を目指していて。そういう作り方自体は前と変わらないと思います。
── 制作を終えて、どうでしたか?
青木いっぱいっぱいで作った感じですね。仲良く楽しくできたと思います(笑)。
ここに辿り付くまで2枚分の試行錯誤もあったし、良いものを求めて妥協しなかったから、最後まであがいていました。ミックスの途中なのに録り直したり。そんな感じで作ったから、これがどんなアルバムになっているのかイマイチ判断ができてなくて。実際に聴いてみてどうでしたか?
── downyらしさはまったく失われてなくて、まるで2004年から一続きになったような音でした。でも、ちょっと大人になったな気はしましたね。
青木そうそう、今回のアルバムは暖かいんですよ。たぶんメンバーみんなが優しくなったから。
── トゲトゲしさは意図して出せるものでもないですしね。
青木それは僕が音楽から離れていたからこともあると思います。今後はそういった気持ちが出てくるかもしれないですし、ムカついたりとか、しょうもないなって思ったことが表現の原点にあると、自然とトゲトゲしくなるじゃないですか?
── ロビンさんの音楽を作る原動力って“怒り”だったりしますか?
青木怒りというよりも、ギャフンと言わせたい気持ちが強いですね。というか、そういうことしか考えていなかった気がします。昔はアルバムのメインになりそうな凄くいい曲も、あえて”要らない”って削っちゃったりしていたし。そういう意味では己の敵は己というように、今回は自分たちをギャフンと言わせたかったとは思います。
── 何だか、修行僧みたいですよね。
青木downyはそういうバンドなんですよ。
── 今後は復帰後の初のライブが控えていますね。
青木アルバムの制作期間は過去の曲には全然宇触れられなかったんですが、今ちょうど取り組んでいるところです。
── 過去のdownyを聴いてみて、どうですか?
青木難しいことをやっているって感じでした(笑)。聴き返してみると、よくこれを弾きながら歌っているなって。活動中に増殖したエフェクターを並べながら、どのタイミングでペダルを踏んでいたっけって、思い出しながら手探りで練習しました。でも、フレーズはもちろん、暗転したステージでエフェクターのツマミを弄る感覚も、意外と体が覚えていて。あと、今は一所懸命に握力を付けているところです。再始動後のライブはエモーショナルになものになると思いますよ。
── 今後のdownyの展望としては?
青木これからは海外でも積極的に出ていこうかなって思っています。昔も何度か誘われたりしていたんですけど、僕たち映像系の機材も全部持ち込んでいたから、当時は国内のライブだけでも大変だったので、難しいかなって思っていたんです。でも、今となれば機材も変わったし、世界中のいろんな場所でライブをしたいなって思っています。
── downyは当時から革新的なバンドだったので、これからも斬新な演出やサウンドを体験させてほしいですね。
青木がんばります。いろんなアイディアが頭の中にあるので、それを少しずつ具現化していきたいですね。
downy9年振りの再始動作品が発売!
- 第五作品集『無題』
- downy
downy 『或る日の暁』TOUR決定!
・2013年12月13日(金)梅田Shangri-La
・2013年12月18日(水)渋谷WWW