ヴィーナスは売春する
『魔女狩り』『孔雀』『蛇姫様』という異形を描いたこれまでの作品群とは異なる、『奇麗』というアルバムタイトルを目にした時から胸がざわついた。女王蜂は楽曲、パフォーマンス、メンバーのルックス、個性すべてにおいて「特別」なバンドだ。が、特別であるというのは時に孤独である。「だってあの人たちは特別だから」という膜をはり、人は彼女たちの痛みや感情を自分たちのそれとは違うものとして認識する。共感ではなく、自分たちよりも高い位置に存在する崇拝の対象——女王蜂もそんな視線は承知のうえで、血を流すほどに突き詰めた表現をしながらも、その血が青いかのような、菩薩のような修羅のようなそんな表情を見せてきたように思う。けれど今作では高みから降り、驚くほど赤裸々に人の心を剥き出しにしている。4年前から既に決めていたというアルバムテーマは「恋愛」。誰しもが通るこの普遍的テーマを前に、アヴちゃんのことば選びの才は冴え渡り、揺れも悲しみも諦めも朝日の色の涙の粒すらくっきりと想起させるほど。そうして彼女の歌を通して自分自身の恋愛をオーバーラップさせられた私たちは気付けば終わった恋の痛みに涙をこぼしているのだ。ショッキングな出来事を綴った「折り鶴」のような楽曲もあるが、恋愛の終焉に向かう心象風景をかくも美しく雅に描いたことばたちにこそ、アヴちゃんの底の知れない才能を感じる。そして、それらのことばをのせたアヴちゃんのヴォーカルにも大きな変化がある。ひとりで幾人もの声を使い分け、幾重ものコーラスを重ねることで、男性目線と女性目線が混在する歌詞に性すらも超えた共感を生み出すマジックはアヴちゃんにしかできえなかったことだろう。(個人的に「売春」のコーラスは、恋に散りゆかんとする女性を必死に男性が支えている絵が浮かんで、そのどちらもがアヴちゃんの声だというのに泣けてしまう)
新加入したギターのひばりくんを筆頭に、バンドサウンドもすばらしい跳躍を見せている。アヴちゃんの頭の中で生まれた音たちはおそらくはキーボードで地上に降りてくるのだが、ギター一本で歌い上げる“髪の毛”はひばりくんの加入が作用した曲だと思う。セオリーというものがないアヴちゃんの作曲方法ならではの不思議な転調が中毒性を生むゴージャスなダンスナンバー“ヴィーナス”、オリエンタルな音色の“一騎打ち”、ラストのストレートなロックサウンドが印象的な“緊急事態”、10曲それぞれが違う色を帯びているのにもかかわらず、それらは全て一聴してすぐに「女王蜂」だとわかる刻印がなされている。前作までの特徴的な轟音が減少してもメロディや音の成り立ちでわかるその刻印は、アヴちゃんの才能はもちろんバンドとしての完成度が高まっている証だ。
最後にタイトルの話に戻ろう。奇妙なほどに美しいという意味を持つ『奇麗』。そこには「ヴィーナス」と「売春」というタイトルの楽曲がある。ヴィーナスの売春——女神は人の世に降り立ち恋愛をした。そして春を売るように、恋愛を音楽に昇華させる。恋も感情も全てを音楽に捧げたアヴちゃん、そして女王蜂に、なんてふさわしいタイトルだろう。