2019年はこの声
このAAAMYYYという人を「トラックメーカー」と呼ぶか「シンガーソングライター」と呼ぶか。まあ別にどちらでもいいしどっちでも正解なんだけど、僕だったら後者である。それも「シンガー」にアクセントを置く。
その雰囲気とか、TempalayのメンバーだったりRyofuやTENDREのサポートしていたりという界隈感もあってなんとなく尖った部分が強調されているようなところもあるのだが(AAAMYYYという名前も初見だとたぶん読めない、とか)、それって単なるジェネレーションの問題でしかなくて、やっぱり彼女ってすごくこの2019年という時代にあってオーセンティックというかクラシックな存在だと思うのだ。いや、より正確にいうと、クラシックな意味で尖っているというか。
使う道具がフォークギターとかピアノなのかGaragBandなのかという違いはあるにせよ、AAAMYYYがやっているのは自分の目に映る世界を言葉とメロディにするということのシンプルな繰り返しでしかない。満を持してドロップされるファースト・アルバム『BODY』ではその部分にしっかりフォーカスが当たっている。今の時代に歌われるべき歌(たとえば「ポリシー」とか「被験者「J」」とか)が、今の時代に鳴るべき音(たとえば「屍を越えていけ」のリズムとか)とともにパッケージされている。そして、そのパッケージをことさらに人間的なものにしているのが、ほかならぬAAAMYYYの歌声なのである。
この人の声は、いろいろなバンドからコーラスを頼まれまくっている(Tempalayでシンセ弾き出したときも、そもそもはコーラスとして呼ばれたらしい)ことからもわかるとおり、あるいはCMでの歌唱のオファーが絶えないことからもわかるとおり、決して圧倒的個性とか主張性とかを持っているタイプのものではない。さり気なく風景になじむ、でもちょっとだけ耳に残る、そんな声だ。ラジオで鳴っていても、電車の車内のノイズと混ざっても、やっぱりどこにでもなじみ、でも印象を残す。
アレサ・フランクリンとかジャニス・ジョプリンみたいな押しの強い女性ボーカルとは対極にある声だが、だからこそこの情報過多ですべてのスピードが上がり続けている時代にハマる。ゴリゴリの強めヴォーカルは正直ちょっとウザいときもあるし、そもそも小さなイヤフォンでそれ聴くともう歌しか聞こえない。トラックとヴォーカルが同じテンションで共存しているくらいがちょうどいい。宇多田ヒカルが復活したら歌い方明らかに変わっていたのはその時代の変化を読んだからだと思うが、AAAMYYYもまた、その空気を体現しているのだ。
さりげない声、だからこそ、強めの言葉もすんなり入ってくる。2615 年の「β版」を舞台にしたコンセプチュアルな今作、ぜひ歌詞を読みながら聴いてほしいのだが、今やロックですら歌えない言葉が並んでいる。「未来の話なんて無駄さ 化けの皮はもう剥がれたのさ」(「愛のため」)というパンチラインがどんな時代認識によるものなのか、ぜひ本人の話を聞いてみたい。だって、まるでボブ・ディランみたいじゃん。
AAAMYYY(エイミー)
https://spaceshowermusic.com/artist/12483693/