THA BLUE HERBが祝福する日々の闘争。リキッドルームに響いた祈りの歌
text by 矢島大地 phot by SUSIE
THA BLUE HERBが7月3日にリリースした『THA BLUE HERB』。初の2枚組、全30曲となった本作は、ラップブームによって単なる現象とされてしまいそうなヒップホップの本質をビシッと定義し、それに伴ってTHA BLUE HERBの22年と自身の音楽を振り返り、この国の現状を震えるようなフロウで抉り出し、そうして日々の線状にあるものを徹底的に歌った上で、歯を食いしばって必死に生きる人を讃える歌へと向かっていった。ヒップホップという魂の名前が軽くなっていくことへの苛立ちを自分たちのプライドの歌へ昇華し、日々窮屈になっていく生活を想い、そんな生活に伴う痛みを鎮魂し、痛みの元凶であるこの国の動きを徹底的に追及する。そしてひたすら「強く生きよう」というエールに結実していく歌たちは、いわばTHA BLUE HERBの名実ともに集大成であり、それと同時に「人とともに生き続ける」という覚悟を鳴らす新フェーズのファンファーレでもあった。「お前の人生を堂々と誇れ」と語りかけて背中を押す、目に見えない抑圧と閉塞に満ちた時代のファイトソング。生感を増したメロディアスなトラックにも、人の近くで歌い鳴らすべき歌への意識がくっきりと映っていた。
その作品を持ってのツアー・最終公演は、ステージ上の幕がゆっくりと開く中に響き渡った「限りある2時間、俺の口車に乗ってみないか?」という言葉でスタート。BOSSの「今日が俺らの復活祭」という言葉に地鳴りのような歓声が上がった「EASTER」。「BACK TO LIFE」「また出会うために俺等は別れた」というリリックが表している通り、7年ぶりのフルアルバムのツアーであるという意味を超えて、本作とこのライヴでTHA BLUE HERBが示そうとしているのは長い長い人生と、その中にある機微をすべて表し切ろうという意志だ。さらに「これが聴こえてんなら、生きてんな」という言葉は生存確認を超えて、22年をともに生きてきた同志への賞賛にも聴こえてくる。ビートの手触りが人肌感を持つようになっているというか、温かみを増しているというか、耳に近い。その感触も相まって、BOSSのラップがより一層じっくりとした聴き心地で間合いを詰めてくる。
ただ、その歌の中身自体は一貫して目つきが鋭い。序盤の展開は特に、昨今のフリースタイルラップブーム以降に本質が霞み始めたヒップホップそのものに言及する楽曲の応酬。その中でも震え上がるような緊張感に貫かれていたのが“介錯”である。群れを作って馴れ合うだけの連中、ブームに乗っかる群衆とはまったく異なる場所にいるのだと示し、あくまで現場で一人ひとりと心の摩擦を起こしながら歩んできたのだと、プライドの刀を抜いてトドメを刺す。歴史の重み、言葉の重みが一打一打すさまじい。さらにBOSSの誠実さが伝わるのは、かつて自分がディスを放った相手のことすらも想うリリックを真っ向から綴っているところだ。それを顧みるからこそ、何かを下げることで自分を上げる歪んだ自我がラップにも世の中にも蔓延していることへの違和感をズバリと言い放つ。このステージで身を削ってきた22年間の重みと肉体性が歌にもトラックにも反映されている。
「ひとりの人間にとってのヒップホップは常に変化するものであって。俺もどこに誇りを立脚させるかは随分と変わってきた。たとえば俺らは北海道が地元だから、誇りを北海道に置いた時もあった。そこから外に出てきて、俺も俺なりに世界が広がった。仲間が結婚したり、仲間に子供が生まれたり。そうなると自分のヒップホップがさらに問われる。ヒップホップは元々、自分の人生をレペゼンするもの。おおよそ安定とか安らぎとは遠いもの。なぜか。最初から、不安定から生まれる音楽だから。でも、自分の人生の変化も受け入れてヒップホップに取り入れた。そしてさらにフェーズが進んで、いろんな現場で俺が一番歳上ってことも多くなった。やっと俺と同い年のヤツをいろんな街で見つけたら、そいつらは若い連中の上に立って指揮をとってる。……なあ、これからだろ? これから一番面白くなるってことだぜ? 若い世代と価値観のズレがあるのは当然。そこに対して『お前は何もわかってねえ』って言うことほどつまんねえことはねえ。そことどう向き合っていくかだ。そうやって作り上げてきた俺のヒップホップドリームだぜ」
何もないなら作ればいい、というのはヒップホップ、ひいてはレベルミュージックの根本のひとつだが、逆に言えば、人生の変化を自分の場所にどれだけ取り込み、柔軟に解釈して生きていけるかが前進の肝だ。THA BLUE HERBの歌は、ヒップホップと人間の生き様に夢を見るからこそ時代にもヒップホップの現状にも鋭い目を向ける。だが、それを否定することではなく、ただただ自分の思うように生きることを貫く歌を投下し続けるだけで、ヒップホップの根本を一切ブレさせない。「凶兆序曲」や「未来世紀日本」のように政治に鋭いメスを入れる楽曲でも、「生活」を大事に守り続けるために声を上げるのだという軸が一切変わらない。生きていればすべてが自分ごと。そんな精神性がライヴの展開、セットリスト、何より歌に宿る切実さから伝わってくる。彼らの歌は人を同じ高さの目線で見つめるし、だからこそ生活に根ざした痛みを歌った歌でも、最終的には鎮痛剤としても鳴り響く。
アルバムで彼らが歌い鳴らした通り、ライヴ終盤はそれぞれの人生を祝福するような楽曲が連打された。「未来は俺等の手の中」に湧くフロアの光景は、絶望が前提になった今の時代の中により一層輝くものだと思ったし、そこから披露された「The best is yet to come」はまさに、未来は俺たちの手の中にあるのだと歌った延長線で繋がっているエールソングだった。まだベストは先にある――このライヴの答えもそこに凝縮されていくようだったが、そこに至るまでの闘いも何もかもが歌い鳴らされたライヴだった。ラストだと言い放った後も、何度も何度も次の曲を歌い出したBOSS。その「ここで終わりじゃない」の繰り返しこそがメッセージであり、THA BLUE HERBが提示した何よりの生き様だった。