Homecomings
昨年10月にリリースしたサード・アルバム『WHALE LIVING』で初となる日本語詞に挑戦したHomecomings。まあ、もしかしたらそれは「挑戦」というほど肩肘張ったものでもなくて、もっと自然な流れのなかで起きた変化なのかもしれない。だが今泉力哉監督の映画『愛がなんだ』に書き下ろした主題歌「Cakes」、福富優樹が原作を執筆し、イラストレーター・サヌキナオヤが絵を描いたコミック『CONFUSED!』など、Homecomingsの世界が広がりを見せ始めているのも確かだ(インタビューでも語られているとおり、メンバー全員住み慣れた京都を離れて東京に移ってきたというのもあるし)。そんなホムカミの「今」をメンバー全員で語ってもらった。12月22日にはリキッドルームでワンマンライブ「PET MILK」を開催、それに合わせて12月21日〜23日にはリキッドルーム2FのKATAで『CONFUSED!』の世界を表現した展示「TOTALLY CONFUSED」もおこなわれるので要チェック。
取材協力:RR –COFFEE TEA BEER BOOKS-
東京だと、電車に乗ったりするにしても気合いがいるんです(畳野)
――東京に拠点を移されたとか。
福富優樹(Gt.):そうなんですよ。去年から彩加さんがこっちに来ていたんですけど、今年の春に成ちゃんも関東に来て。それまでは1対3で行ったり来たりしていたんですけど、2対2になったのもあって、残りふたりも東京に来て、4人揃いました。
――Twitterとか見ていると、京都でライブやるのも「京都に行く」って書いていて。そうだよなあ、と思って(笑)。
福富:そうですね。でもやっぱり、行くたびに泣きそうになります。僕はわりと街とかにすぐ愛着が湧いちゃうタイプなんで。いまだに行くとすごく切ないというか、寂しくて。
畳野彩加(Vo./Gt.):私は去年の8月から東京に来て、もう1年ぐらい経つのでだいぶ慣れてきてはいるんですけど、でもやっぱり東京に帰ってくるときのほうが気合いがいるっていうか。「よし、帰るぞ」っていう(笑)。
福富:ああー。
畳野:京都にいるときのほうが、なんとなくどこにいるかとか、どこに行けばこれがあるっていうのがわかってるので落ち着くなっていうのを最近すごく実感するようになりましたね。東京だと、電車に乗ったりするにしても気合いがいるんです。「混んでるかな」とか、いろんなことを考えなきゃいけないから。
石田成美(Dr./Cho):関西方面に行くと知ってる人がたくさんいたりとかするから、ほっとする感じはありますね。
福田穂那美(Ba./Cho):私と福富くんは 8月末とかにこっちに来たんですけど、その間にもいっぱい関西でライブがあったりしたので、まだ落ち着くっていう感じではないんですよね。
福富:でも、どっちがいいとか悪いとかいう感じでもなく。自分が住んでいる街を好きになっていくっていうのは一緒です。京都に住んでいたときもそうでしたし、どんどん街を好きになっていくだけだろうなって。
――住んでいる場所が違うと、表現も違ってくるのかなと思うんですよね。とくにHomecomingsの場合、音楽性どうこうではなくて、すごく京都っぽかったと思うんですよ、曲に漂っているムードとかが。それが東京に来て変わっていくような予感は感じたりします?
福富:でも、そういう自分たちの京都っぽさみたいなものをまったく意識したことがなくて。
畳野:結構そうやって言われることが多いんですけどね。
福富:『Somehow, Somewhere』っていうアルバムのときは、当時住んでいた京都の岩倉っていうすごく寂しい、静かな街の雰囲気みたいなのがすごく入ったアルバムを作ろうと思って作ったんですけど、それ以降のアルバムはわりと架空の町とかを想像して作ったので。でも……今住んでる街って東京といっても田舎っていうか郊外って感じなんですね。でかい川があって、広くて、夜は工場が光っている、みたいな。そういう自分が住んでいる場所からの影響はこれから書く歌詞に出てくるやろなって気はしますね。
演奏中の気持ちの入りかたみたいなものは、英語の歌詞のときからは変わったかな(石田)
――東京に来たのもそうですけど、ここ1年、Homecomingsにはいろいろな変化があったと思うんです。たとえば最新アルバムの『Whale Living』からは日本語で歌詞を書くようにもなって。それについてはいろいろな人からいろいろな感想を聞かされたと思うけれど。
福富:でも、インタビューとかでもいろいろ言われるなと思って「こう答えよう」っていう準備をしてたんですけど、なんか思ったよりセンセーショナルな感じで捉えられなかった(笑)。わりと今までと地続き、自分たちが思ってる以上に自然に受け取ってもらえた感じなんですよね。
畳野:そうですね。
福富:かと言って無視されたわけでもなくて、今まで以上にたくさんの人が聴いてくれて、今まで聴いてくれていた人も同じように聴いてくれているという実感があって。
――それは理想的ですよね。
福富:そうですね。やっぱりちょっと怖さっていうのがあったんですよ。歌ってることは変わってないはずですけど、スタイルが変わっていくことでどんなことを起きるのか想像できてなかった部分もあったんですけど、嫌なリアクションはなかったですね。
――同じことを言うにしても、言語が変わるとニュアンスとか温度感みたいなものって変わるじゃないですか。そのあたりの違いみたいなところは自分たちでやっていてどうですか?
石田:演奏中の気持ちの入りかたみたいなものは、英語の歌詞のときからは変わったかなって思います。「あ、今こんなことを歌ってるな」って思いながら演奏するようになった気がします。
福田:今言われて私もそうだなって実感しました(笑)。今まで英語やったんで、内容をそこまで考えながら演奏してはいなかったので。やっぱり日本語だとそれが自然にできるっていうか。それでさらに自分の気持ちもぐっときて、演奏に熱が入るっていう。
畳野:私は最近、ちょいちょいひとりでいろんな場所に歌いに行くことが増えたんですけど、そこで感じることが多いですね。日本語で作ってからはギターと歌だけで伝わる曲の深みが増したというか、伝わる自信をもてるようになりました。言葉で理解してこう聴いてくれてるっていうのを実感するので。そういう楽しさ……今までなかったわけじゃないですけど、言葉の面白さみたいなのはすごく感じやすいっていうのはありますね。
思っている以上に伝わってないなと思うことが多かったんです。それがもどかしい部分でもあった(福富)
――逆に書いている身としては、伝わっちゃうのが恥ずかしいとか照れくさいとか、そういう気持ちもあったりするの?
福富:いや、それはあんまりなくて。むしろ……最初に僕が日本語で書いて、それを英訳してから歌に乗せるっていうプロセスでやっていたんですけど、それが僕が思っている以上に伝わってないなと思うことがすごく多かったんです。それがちょっともどかしい部分でもあったんですよね。だからミュージックビデオでわざわざ日本語字幕を載せたりしてたんですけど、そういうのが全部必要なくなるっていうか。それはそれで、ひとつフィルターを通すことのよさがあったし、それが1つの形として面白いと思っていましたけど、そういうのを取っ払ってストレートに歌詞が届くっていうのはすごくうれしい。自分がやってることがそのまま伝わる喜びのほうが大きいですね。
――アルバムのあとに映画『愛がなんだ』の主題歌になった「Cakes」という曲が出たじゃないですか。あの歌詞も素晴らしいなと思ったんですよね。アルバム1枚通して物語や世界観を伝えるのとは違う、ぱっと切り取った時の言葉の強さみたいなものがあるなと。
福富:あの曲はアルバム以降初めて、物語の外で1曲だけ作るというものだったので。苦労しましたけど、自分でもいいものができたなと思います。日本語になってからとくにそうなんですけど、自分が歌いたいこととか感じてることとかを、直接的な表現じゃなくてもいいから、ちゃんと入れられたらいいなって思っていて。「Cakes」は『愛がなんだ』の主題歌っていう形を借りてるんですけど、そこに映画と関係ない、その時思ってることとかを入れることができた。あれは「僕」とか「私」って言葉をあえて使わずにラブソングを書くっていうことをやっているんですけど、性別とかを超えて誰にでも伝わるラブソングを作るっていうことができたので、自分でも自信をもてるようになりましたね。
――日本語で歌うようになって、ライブでのお客さんの反応は変わってきましたか?
畳野:前から見てても分かるんですけど、ぽろぽろって泣いてくれてる人が多くなったかな。ライブでは基本的に自由に楽しんでもらうのが一番なんですけど、そうやって自分の曲として聴いてくれてるっていうのはうれしいですし、そうやって感情がぐって入っているのを見てまたこっちも感情移入する部分もあるので。もらったり与えたりみたいな関係性がどんどん深まっている感じはします。
福富:ライブのやりかたがちょっと変わってきたような気はします。これまではもっと肉体的な感じの反応がうれしかったんですよ。ここのリズム変わるところでみんなが踊り出すとか、「HURTS」が始まった瞬間にわーって盛り上がるみたいな。わかりやすいフィジカル的な盛り上がりみたいなものを求めてやっていたところが、今はそうじゃなくても別にいいと思えるというか。
畳野:Homecomingsのライブでそんなに分かりやすくわーってなるっていうのはたぶんないんですけど(笑)、心の中で全員がわーってなっているのがこっちにも伝わってるんで。目線で感じるというか、心の変化が伝わってくる。それは最近すごく感じますね。
普段の福富くんと歌詞を書いてる福富くんは違う人なんじゃないかって思うことが多い(笑)(石田)
――なるほど。ちなみに日本語で書くようになって、福富くんという表現者の表現が変わってきたというのは感じたりしますか?
畳野:トミーには独特の表現方法、スタイルっていうのがあって……好きなものも全部知ってるし、どっちかっていうと客観的に見ることはできないんですけど、最近はそれがすごく定着してきたっていうか、表現力がどんどん広がってるような感じがする。それがここからどう変化していくのかなっていうのは楽しみにしながら曲をつけてます。ちょっとした変化が面白いなって思いながら。ちょっとずつ具体的になってるな、昔はもっとぼやっと表現してたものを言葉ではっきり言うようになったなとか……本人には言わないですけど、気付いてはいます(笑)。
――石田さんはどうですか?
石田:私は普段4人でいるときの福富くんと歌詞を書いてる福富くんは違う人なんじゃないかって思うことが多い(笑)。最近はちょっとずつ寄ってきた感じもあるんですけど、「こんなこと思ってるんや」って気付きのほうが多いですね。
福田:日本語になったことによって日々彼が思っていることがより歌詞に反映されるようになったのかなっていうのは思います。普段ニュースとかについて話していたことが直接的ではないけど、歌詞にも表れてたりしていて。そういうのも素敵だなと思います。
(『CONFUSED!』のは)Homecomingsとも地続きというか。自分の町の記憶の説明っていう感じ。だからいびつなんですよね。(福富)
――そして、今年は福富くんが原作を書いてサヌキナオヤさんが絵を描いた『CONFUSD!』というマンガも今年単行本化されました。最近はエッセイを書いたり、音楽以外の表現も増えているように思いますけど、福富くんのなかで音楽とそれ以外の表現というのはつながっているんですか?
福富:そうですね。音楽についても作曲はほとんど彩加さんに任せているので、僕が担っているのは「音楽の音楽じゃない部分」というか。マンガも、マンガの絵じゃない部分を担っているという意味ではちょっと似ているなって思います。
畳野:『CONFUSED!』面白かったです。こんなマンガがもっとあればいいのになって思いました。海外のグラフィック・ノベルみたいな、映画を観たような感覚になれるような。サヌキさんとトミーが2人でやるマンガとしてはベストだと思います。
福富:Netflixの『イージー』とか『モダン・ラブ ~今日もNYの街角で~』とか、ああいうのがやりたかったんですよね。ああいうオムニバスみたいになってるドラマを観終わった感覚というか、1話ごとにいろいろな感情があって、全部終わったあとにもまた感じるものがあるっていう。
――あれ、すごくHomecomingsな作品だなと思ったんですが、福富くんのなかでは「物語を作りたい」という感じだったんですか?
福富:最初にマンガの話が来て「どんな風にしようか」ってなったときに、まずは自分が今できることを精いっぱいやろうと思って。言ったらあれはアルバムみたいなものじゃないですか。自分が得意な形なので、それで一回やってみようっていうのがあってあの形になりました。最初はロードムービーにしようとか、『ファーゴ』みたいなサスペンスっぽいものとかも考えてたんですけど。だからHomecomingsとも地続きというか……舞台のグリーンバーグにも自分が住んでいたいろいろな街が入っている感じがするんですね。ボウリング場とかの感じは石川の感じもあるし、京都のちょっとぎゅってなってる感じも入っていたりするので。なんか、自分の町の記憶の説明っていう感じ。だからいびつなんですよね。
――今回KATAで展示も行われるんですが、この作品は続きもあるんでしょうか?
福富:うん、作りたいですね。でも僕よりもサヌキさんのほうが大変なんですよ。イラストレーターだから1個1個のコマをイラストと同じ熱量で描いていくので。月刊連載だったんですけど、それでも大変で。だからまた違う形で作品を作れたらなと思いますね。絵本とか……ヤングアダルトっぽい絵本とかってあんまりないと思うんで、そういうのができたらいいな、とか思っています。
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2019/12/22
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