まるで本質論のような4曲
ドーム公演をソールドアウトさせ、ドラマやCMでも存在感を放つ「国民的スター」としての星野源と、「ばかのうた」を書き歌い続けるシンガーソングライターとしての星野源の交点とはどこなのだろうか。
少なくともアルバム『POP VIRUS』までの星野は、自らの表現、そして自分自身を開けたものへ突き抜けさせていくという意識を持って走り続けてきたように思う。実際にその結果としてアルバム『YELLOW DANCER』はオリコン1位を獲得し、その後ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌「恋」という文字通りの国民的大ヒット曲が生まれ、紅白歌合戦の常連となり、集大成とも呼ぶべき作品『POP VIRUS』を引っさげて行われた5大ドームツアーでは35万人もの観客動員数を記録するまでになった。音楽的には突き詰めた、マニアックな一面を持ちながらそれがまごうかたなきポップスとして届き、聴かれ、広がっていく。それは見ていて痛快だったし、おそらくはそこに星野自身のカタルシスもあったのだろうと想像する。
『POP VIRUS』のツアーを終えたあと、星野は一種の燃え尽き症候群のような状態に陥ったという。あれだけのスケールで成功を収め、次に何をするのか。
そんな中リリースされたのが今作『Same Thing』であった。
Superorganismと組んだタイトル・トラックにはじまり、PUNPEEをフィーチャーした「さらしもの」、イギリスのシーンを席巻する若きプロデューサー/ギタリスト、トム・ミッシュと共作した「Ain’t Nobody Know」。多彩な、というよりも極端なまでにバラバラな相手とのコラボレーション・ソングたち。そのいずれもが、星野の個人的な人間関係のなかで生まれたものだ。そこには濃厚にプライベートの匂いが漂い、サウンドの雰囲気やメロディのタッチ、そして何より歌詞のテーマにおいて、孤独のトーンが強く打ち出されている。ポップスターとして星野源を見ているリスナーにどう受け止められているのかは知らない。だがひとつだけ確かに言えるのは、ここでは彼自身の中における音楽の制限のようなものを取っ払っている、ということである。この『Same Thing』は表現の純粋さや素朴さを回復させるような作品だからだ。
素朴ということでいえばこれ以上はない、アコースティック・ギターの弾き語り曲「私」。EPの最後に収められたこの曲で、星野は「あの人を殺すより/面白いことをしよう/悲しみと棒アイスを食う」と歌い始める。そこに込められているのは絶望と希望が重なり合う奇妙な心境だ。引き裂かれたものを糸で縫い合わせるように、あるいはすべてを切り刻んでグチャグチャに混ぜ合わせるように、彼は言葉と音を紡ぐ。いわゆるポップスとしての王道かといわれればそういう類の作品ではないかもしれない。しかしだからこそ彼の表現の根っこが無防備に露出しているように思えるし、その根っこが間違いなくこれまでの星野源の歩みにつながっていることも確認できる。そんな作品が今このタイミングで生まれたことの意味は、星野源自身にとっても非常に大きい。