まぼろしはずっとそこに
「時代」とか「世代」とかありがちな切り口でミツメの音楽を読み解こうとすることほどバカバカしいことはないが、3年ぶりのアルバム『Ghosts』を聴くとやっぱりそこに同時代の空気を感じずにはいられない。バンドが企図したものなのか、それとも聴き手である我々の気分の変化によるものなのかわからないが、これまでの彼らのアルバムのなかでもいちばん、今ここ、すなわち2019年の東京で生まれる意味をもった作品なのではないかと思う。ここのところ変化のスピードをまた上げた感じがあるこの街を、このアルバムを聴きながら歩いてみよう。感覚が少しだけセンシティブになって、普段は見ない大事なものが浮かび上がってくるような感じがするはずだ。
先行シングル「エスパー」と「セダン」がアルバム全編を牽引する、ミツメ史上もっともポップなアルバム——という形容は間違ってはいないが、それはこのアルバムでミツメが大変化をしたということを意味してはいない。むしろ変わったのは聴き手である我々と、その我々を取り巻く時代状況のほうだ。たとえば前作『A Long Day』と比べたときに、今作を特徴づけているのは何かといえば、それは音像の角が取れたようなやわらかさであり、ギターサウンドを覆うもやのようなリヴァーブであり、ゆったりとしたリズムだ。前作ではわりとアタック感を強めに出していたドラムとベースも、今作では流れるようななめらかさを感じさせる。だが、それらはもちろんちょっとしたバランスの話で、それらの要素はこれまでの彼らにも間違いなくあったし、今作においても例外といえる楽曲もある。だが、そうしたちょっとしたバランスの変化を、我々は今、ことさらポップだと感じている。「変わらずそのまま 通じ合えたなら/思うだけの ただの二人」と歌う「エスパー」や「行きたいとことか どこも無いくせに」と始まる「セダン」が今この街で鳴るべきポップスとして受け止められている。ということが大事だと思う。
新しさやインパクトや力強さ、ではなく、変わらなさや穏やかさや柔らかさ。『Ghosts』をシンプルな言葉で表現するならそういう感じである。海をガンガン埋め立てて作った空き地にバカでかい真っ白な建物を作り続けるような「進歩的」な営みではなく、変わらず続き、そして忘れられていく日常と生活の中に愛しさを見つけること。ミツメはずっとそれを歌ってきたが、それが今作ではより強調されている。そしてそれは間違いなく、この時代、この街の空気とシンクロしている。それがつまりこのアルバムのリアリティだ。『Ghosts』とはまやかしの未来のことか、それとも忘れられようとしている過去のことか。川辺素の歌う断片的な言葉は、確かにこの街に眠るまぼろしを浮かび上がらせている。